桜井芳生
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【主要命題】インターネットによって、ミームゲームブームが生じる。が、それはバブルでありそうだ。
970131右田(鹿大卒論)の「現代日本における家族形態の変化についての文化遺伝子的一考察」(http://ac3.aimcom.co.jp/~sakurai/migita.htm)は、「画期的」仕事だ。彼は,現代において、利己的遺伝子(ジーン)のゲームが相対的に文化的複製子(ミーム)のゲームへとシフトしつつある、と仮説する。その上で、この「ミームへのシフト」の仮説によって、現代日本における家族形態の変化の多くを「説明」していく。すなわち、「近代日本型家父長制度におけるミームの制限」「女性の社会進出」「結婚観念の変化」「少子化」「熟年離婚」「晩婚化」「セックスレス夫婦」「ディンクス」などが、分析されていく。
970131われわれ「後進の者」としては、右田の仕事の画期性を最大限評価しつつも、「さらに前へ」すすまねばならないだろう。
970131たしかに右田のいうとおり、現代のテクノロジーの発達は、「ヒト」に「ジーン(遺伝子)」的自己複製だけでなく、ミーム(文化)的自己複製を可能にさせる領域を増大させつつある。
970131私自身前に言及したとおり、この点でも、「インターネット」は画期的だ。「永代供養ウェブページ」に自分の文化的遺伝子の「タネ」をおいておけば、それは、無限の時間において、論理的には無限の数のミームを散種することになる。
この点からみても、「少なくとも、短期的には、」、右田のいうような、「ジーンゲームから、ミームゲームへの、シフト」が進行している可能性は高いだろう。いわば、「ミームゲーム・ブーム」が進行しつつあるのかもしれない。
970131しかし、ここで注意してほしい。少なくとも、ヒトにおいては、ジーンゲームは、かなり「平等」的である。十分多くの子どもを生めば、かなりの確率で、ジーンは、後継されていくことが期待できる。それに比べて、「ミーム」の世界は、非常に「弱肉強食」の世界である。ミームの典型とされる、ファッション・流行歌・宗教・思想など、どれをとっても、「生き残る」のは、ごく少数である。
したがって、インターネットなどの新しいテクノロジーを前にして、「自己実現」などといいながら、「ミームゲーム」に参加し始めるヒトが増加するだろうが、彼らが後継させようとするミームはサバイバルしない確率が高いのである。インターネットにおけるミームゲームにおいては、プレイヤーの多く(大部分)が「敗者」になる確率が高いのである。
よってプレイヤーの多くが、「このミームゲームにおける、勝利確率の低さ」に気づくとき、このミームブームは、崩壊する可能性がある。
すなわち、【インターネットをめぐって、短期的にミームゲームブームが生じる可能性が高いが、これは、バブルで、長期的にははじける可能性が高い】といえるのではないだろうか。
970131逆説的だが、【今おすすめの戦略は、むしろ「子づくり」である】。ヒトの多くが、ジーンゲームから、ミームゲームにシフトし、「少子化」が進行しつつある今こそ「ヒトの裏をかいて,子どもを10人ぐらいつくる」。そうすれば、かなりの確率でジーンは後継されるだろう。(ちなみに、ダーウィンも、10人の子持ちだったそうである)。
(ただし、ここでの議論では、「1。ヒトの生体は、遺伝的であれ、文化的であれ、複製子を後継させることを選好する。」「2。文化的複製子を後継させるにしても、とくに「個性的な」あるいは「自己に由来する」複製子を後継させることを選好する」という二点を前提(仮定)している。しかし、この仮定は、いまだ論証されてない。「1の仮定」が、否定されて、「ヒトの生体は、遺伝子の後継のみを選好する」(ただし、これは、現実に照らすと、考えにくい)となれば、ここでいう「ミームゲームへのシフト」自体ありそうなことでなくなる。また、1の仮定が肯定されつつ「2の仮定」が否定されれば、ヒトはべつに自分由来のミームが後継されなくても、もともとある「強力ミーム(たとえば、定番的宗教)」の「一端を担う」だけで十分であろう。このストーリーはありそうなことだろう。以上二点、留保したい。)