現代日本における家族形態の変化についての文化的遺伝子的一考察

鹿児島大学法文学部人文学科現代メディア文化論卒論  右田

1 はじめに

第二次世界大戦後、日本の家族形態は核家族化に始まり、晩婚化、非結婚化、少子化、ディンクスといったの現象に象徴されるように、「家」という家父長制は崩壊しつつあると考えられている。 しかしながら、家族形態としての家父制度は消え行きつつあるものの、企業における家父長制的役割分担が今だに存在し、また夫の両親の介護が夫の姉妹あるいは兄弟ではなく、 嫁に委ねられているという現状をみても「家父長制度」が夫の両親と息子夫婦とその子供達が同居するという単なる家族形態ではなくもっと根本的な“何か”を含む制度であると考えられる。 本論文はまず 手掛かりとしてドーキンスによって提唱されたDNAとは異なる、人間だけが持つという文化的遺伝子ミームと岸田秀による結婚=特定一人を対象とした売買春という言説を用いて「家」という家父長制度が男を中心とした家によるミーム遺伝と嫁という女によるジーン遺伝の分業であるということを明らかにし、家父長制度に含まれる根本的“何か”が男女によるミーム遺伝とジーン遺伝の分業体制”であるということを言及することを最初の目的とする。 次に、そのような分業体制の中で、ミーム遺伝ゲームへの参加を段階的に手に入れた戦後の歴史を“女性の解放”という立場から検討し、女性のジーンゲームでの先天的不利性に由来する母性イデオロギーを中心とした従来の結婚概念に対する疑問や不満また、現代のおいて理想とされる新しい結婚概念を岸田秀の結婚制度の定義を利用して明らかにする。 さらに、現代の新しい婚姻形態や家族形態をその理想の結婚形態に近づこうとする試みとして捕らえ、人々の自己複製子伝達ゲームの中心がジーンゲームからミームゲームへのシフトという観点から分析する。 更に、人々の自己複製子伝達ゲームの中心のジーンゲームからミームゲームへのシフトという観点からアンケートを製作し、それを実施、分析することによって、ミームゲーム指向の人とジーンゲーム指向の人の理想とする結婚概念の差異と明らかにすることを本論文の最終目的とする。

2、文化的遺伝子ミームとは、

もう一つの遺伝子ミーム、ドーキンスの利己的遺伝子論 ドーキンスの利己的遺伝子論とは、すべての生物は自己複製を行なう実体の生存率の差に基づいて進化するという原理に支えられた理論である。その理論とは、それぞれの生物個体は自己複製子(遺伝子)を伝えるための遺伝子複製機械であり、生物の利己的あるいは利他的と思われる様々な行為は、できるだけ少ない投資でより多くの自己複製子を後世に残そうとする遺伝子の利己的な性質によるものであるという理論である。 つまり、彼によると生物とはできるだけ多くの自己の遺伝子を後世に生存させることを目的として動いている機械ということになる。

3,ミームとは

ミームとはドーキンスが模倣に相当するギリシャ語の語幹<mimeme>を<ジーン(遺伝子)>という言葉の発音に似せるために縮めて作った言葉である。そして、ドーキンスは、ミームの意味を、文化伝達の単位、あるいは、模倣の単位と定義している。そして、ミームは人間のもう一つの自己複製子であるとしている。そして、ミームのジーンに対する優位性を以下のように述べている。 『現在、ソクラテスやプラトンの遺伝子がその子孫に幾つ受け継がれているだろう。一つ、 あるいは二つあるか心もとない。しかし、そんなことをいったい誰が気にするだろうか。彼らのミームは今だ世界中で健在ではないか。』 (以上、ドーキンス、「生物=生存機械論」、P319) 上記のドーキンスによる例のように、社会生活をおくる人間にとってミームはジーンよりも自己複製子をして優れた点をもっている。 まず、第一にジーンの複製は子孫に限られるが、ミームはその複製の対象が性別、地域、時代により制限されない。 それから、人間がその一生においてジーンを複製できる期間は限られている。それに対して、ミームはいつからでも、いつまででも複製することが可能なのである。 また、ジーンは男女間においての性交でしか複製できないがミームは一人でも複製できるし、さらに、言葉、文字、映像、インターネットなど、その複製手段は多種多様である。

しかしながら、人類史上、現在にミームでその自己複製子を残している人物はごくわずかである。有史以前から大抵の人々はジーンでその自己複製子を残してきた。それはジーンがミームに比べて次のような特徴をもっているからである。 まず、ジーンはミームのように長期的にかつ大量に自己を複製することはできないが、ミームよりも短期的で少量ではあるが確実に自己複製を行うことができる。 次に、後世に複製され続けるようなミームの複製子を生み出すことは大変高度な知識や技術あるいは肉体的コストと必要とするが、ジーンはある程度の年齢になり性成熟をむかえさえすれば誰でも複製子を手にいれることが可能である。 また、ミームを複製する手段が多種多様になったのは人類誕生からの歴史を考えるとつい最近のことと言える。人類史上、ミームの伝達は多くの口承と僅かな書物による文字伝達に限られていたのである。つまり、近代にいたるまではミームの伝達はかなり難しく不確実なことだったのである。それに対して、ジーン遺伝は男女間における性交渉という現在と何ら変わらない方法が人類誕生と同時に確立されているのである。 このように、人間は自己複製遺伝子としてジーンのほかにミームをもっている。そして、 確実に少量の自己複製子を残すジーン伝達と不確実ではあるが成功すれば大量の自己複製子を残すことができるミーム伝達というこの二つの自己複製子伝達ゲームが存在する。この事が人間にほかの動物には見られない家族形態をもたらしているのである。

4、ミーム遺伝ゲームにおいて女の敗北

ミームゲームにおいての先天的な男女の身体的差は殆どないと考えられる。 けれども、男性はジーンゲームにおける先天的な有利性を利用して、女性に対して、ミームゲームへの参加を禁止、あるいは制限することで歴史上ずっとミームゲームを有利に進めてきた。 ドーキンスの利己的遺伝子論からすると、生物は相手が子供の養育というジーン遺伝に伴うコストと支払ってくれるならば、生まれた子供を放棄して、また新たな相手とのジーン複製を行うことを望むはずである。 人間はジーンの他にミームという自己複製手段も持っているから、新たな相手とのジーン複製、あるいはミーム複製ということになるのだが、とにかくドーキンス的立場から言えば両親共に育児というコストを支払いたくないはずである。 しかし、歴史的にみるとこのコストは殆ど、あるいは常に母親である女性によって支払われてきた。 なぜなら、女性は子供が生まれた時点で既に男性より多くのコストを卵細胞や妊娠という形で支払っている。そのため、育児を放棄することで子供が死亡した場合、無駄になるコストが男性より多いのである。そのため女性はどうしても育児というコストを支払うはめになってしまうのである。 この言わば女性が仕方なく支払うコストに対して“母性本能”と名付けて、女性には子供を愛し育てようとする本能があると決めつけることで、男性は女性に出産、育児を当然のこととして強要してきた。 しかも、女性にとっては不運なことに人間の赤ちゃんの養育は他の生物とは比べようもない程の労働を必要とするので、他の生物のように育児をしながら、同時に自分自身の生きるための糧を自分自身の力で得ることは不可能である。したがって、女性は育児をしている間は、誰かに養ってもらわなくては生きて行けない。 このことを利用して作られたシステムが家父長制である。詳しくは後述するが、現在、この家父長制という言葉には人類学者、社会学者あるいはフェミニストなどそれぞれの立場からそれぞれの意味が与えられている。そのために意味の混同や誤解が多く見られるが、 “家父長制”という言葉に少なくとも共通している概念は「性に基づいて、権力が男性有利に配分され、かつ役割が固定的に配分されるシステム」ということである。 このシステムは人類の歴史上古く、そして広く存在するが、それは人類の歴史上の大抵の女性が育児のために、他者(男性)に養ってもらわなくては生きて行けなかったからである。 このように、、ジーンゲームで敗北した女は、育児のために家父長制的家族形態に組み込まれてきた。 つまり、女性は男性よりもジーン遺伝に多くのコストを支払わなくてならないために、ミーム遺伝に男性ほどコストをかけられないばかりか、家族形態としての家父長制的家族形態に組み込まれてきた。そしてミーム遺伝ゲームへの参加そのものさえも男性によって制限、もしくは禁止されてきたのである。

5、家父長制とは

家父長制的家族形態とは、男性がジーン遺伝での有利性を生かして、女性のミーム遺伝ゲームへの参加を制限、あるいは禁止するシステムである。そのため フェミニズム論争や女性の解放が論じられるとき、「家父長制」という言葉は、いつもキーワードとして使われてきた。 そして、日本では「家父長制」という言葉は、戦前の「家」制度を指す用語として、かなり定着し、一般的には理解されている。しかし、「家父長制」という概念は、フェミニズムが独自の意味を付与して使うようになるずっと以前から、社会科学の中で用いられてきた。そのため、「家父長制」という概念に対する、フェミニズムと既存の学問との間で意味の混同や誤解があり、そのことが、日本においてフェミニズムを「家」制度に組み込まれることを拒絶する放とう娘の戯れ言とされてしまう元凶であった。 また、日本においては家父制度は明治民法下における「家」制度とほぼ同義で理解されているが、これは歴史的、あるいは地域的にある種特種な要素を含んでいる家父長制である。このことがますます「家父制度」という概念に対する誤解を深める原因となっている。

瀬地山角氏はこれらの誤解をとくために、「フェミニズム論争」(1990年、勁草書房)の中で以下のような分析に基いて家父長制の定義をしている。

『文化人類学、社会学などにおいては、家父長制度のもつ意味は以下のように集約される。 家長権をもつ男子が家族員を統率、支配する家族形態。家父長制家族では、一般に長男が家族と家族員に対する統率権を世襲的に継承し祖先祭祀の主催者となる。その統率権は絶対的な権威として現われ、家族員は人格的に恭順、服従する。それは伝統によって神聖化された規範であり、家族員は伝統や他の権力の制約を受けないかぎり、その権力を自由に行使することができた。 しかし、フェミニストならば、これを社会学の無理解と憤るに違いない。いうまでもなく性差別を告発しようとする人々にとって家父長制とは「姿をけしつつある」ものではなく「いま現にあるもの」だからである。では、次にフェミニズムの立場からの家父長制概念とはどのようなものであろうか。 70代以降のフェミニズムの理論の構築の中で、最も早く家父長制を用いたのはミレット(Kata Millet)の「性の政治学」(1970年)であるが、まさに、父の支配を連想させるものであった。ミレットは産業、政治、科学、軍事といったあらゆる場において実権を握っているのが男性であるという事実からこの社会は家父長制的構造をもっ ているとした。男性総体の女性総体に対する優越である。「家父長制=男性支配」と要約できるようなフェミニズムの家父長制概念の基調はこのとき形成されたのである。 1970年代後半以降のいわゆるマルクス主義フェミニズムでは、近代以降の性にまつわる差別や役割配分の問題が説明の対象となり、資本制と家父長制との相互作用に分析の中心がおかれている。マルクス主義フェミニズムの用いる家父長制概念は「男性が女性を支配することを可能にする社会的権力関係の総体」というようにラディカル・フェミニズムと似たものであるが、「家父長制の物質的基盤」を強調する点や家父長制を用いての説明のスタイルにおいて、それまでのフェミニズムとの違いや進歩がみられる。 マルクス主義フェミニズムの問題の関心の特徴は、家父長制を資本制とはさしあたり別の独立変数として、分析しようという点にある。その際、家庭と職場とは家父長制と資本制がそれぞれ専一に支配する場ではなく、双方の場に双方のシステムの力が及ぼされることで、社会関係は形成されていると考えるのである。 フェミニズムが家父長制というときに最低限共有されていることは、権力を握る主体の性別を示すものと考えて、それを問題視しようとする姿勢である。まさに「男が権力を持つ」というレベルを問題にする以上、社会学などに概念よりもはるかにその外延がひろいものなのだ。だからこそ「家父長制は姿を消しつつある」といった言説は許容しえないものなのである。 以上のようなことから考えると最も共通性のある我々のとるべき家父長制概念は 「性に基づいて、権力が男性有利に配分され、かつ役割が固定的に配分されるような関係と規範の総体」である。 ただここで優位というのは異質平等論などの議論に対処するために、男>女と考えるよりも緩やかに男≧女と考える方がよいだろう。また、ここには性に基づく役割(しばしばわれわれが性役割と呼ぶもの)の配分の二つの要素が含まれている。 こうした家父長制概念は、社会学のようにある特殊な支配形態ではなく、さしあたり権力を握っている主体の性別を示し、さらに役割が性に基づいて配分されるような一つのシステムを指すのである。』 (以上、「フェミニズム論争」第二章 〜家父長制をめぐって 瀬地角著、要約) つまり、現在、一般的に使用される“家父長制”という言葉は、人類学や社会学においての家父長制を年長男性が他の家族に対して絶対的な権力を持つという単なる一つの家族形態としてではなく、ミーム伝達ゲームにおいて、女性より男性に有利な役割配分をするシステムの総体のことを意味するのである。したがって、そのような個々システムの家父長制という一言で表現するのは不可能なことなのである。このことを前述の瀬地山氏は以下のよう述べている。 『また、もちろんこんながい骸骨のような分析概念だけで、実体の記述、説明をすることは不可能で、歴史的、地域的限定のついた記述概念としての家父長制概念がそれぞれ必要となるだろう。 たとえば、従来の日本の用法で「家父長制」と呼ばれていた、いわゆる日本の旧民法下の家制度のもとでの性に基ずく権力、役割の配分というのは、「男が外、女は内」という近代の役割分担を反映している点で近代という刻印をうけ、また夫婦間の結び付きよりも親子、とくに母子の結合を重視されているという点で、欧米に比べてある種特殊な日本的な色彩を帯びている。そうした意味で、さしあたり近代日本型の家父長制とよぶべきものなのである。』 (以上、「フェミニズム論争」 瀬地角著)

6、日本型家父長制の特殊性

前述の瀬地山角氏の指摘にもあったように日本における明治民法下における「家」を中心とした家父長制度は歴史的にも、地域的にもある種、特殊な要素を含んでいる。 まず、夫婦間に生まれた子供が母方の家で養育されるという母系家族の中にも家父長制が存在する。 つまり、母方の祖父が娘と孫に家父長として絶対的な権力を持つのである。人類学は生まれた子供の「生物学的父」と「社会学的父」をかなり初期の段階で区別しているが、家父長制においても、その集団で絶対的権力を持つ男子、つまり社会学的父が、その集団に帰属する子供の生物学的父でない場合が少なくはないのである。 そのため、従来の日本における家父長制では多少奇異に聞こえる母系社会での家父長が存在するのである。

このような祖父に対する娘や孫に対する、あるいは、叔父の姉妹や甥や姪に対する家父長制は、アフリカ、南米の原住民の家族形態として古くから、また地域的にも広く見られたし、また現在においてもそのような家族形態で生活している部族が存在する。このような家族形態は古くは日本にも存在した。 弥生時代や大和時代における“村”単位での乱婚や復婚によって生まれてくる子供の生物学的父親が定かではないという状態での母系社会や、平安時代の貴族社会における通い婚がそうである。 平安時代の貴族の婚姻形態は婿による通い婚であり、結婚後も妻は自分の生家に住み、夜になると夫が自分の家から通ってくるという仕組みである。 このような夫婦間に生まれた子供は妻の実家で生まれ育つこととなる。そして、当時の貴族社会で絶対的意味をもつ“身分”はその子供の社会的後ろ盾となる母親方の祖父の身分で主に決定された。 更に、当時は一夫多妻制でもあるが、もし他の女性に夫の心が移って離婚という事態が生じても、妻は娘として生家に住んでいるために父の強い保護のもとに経済的には何ら困ることがなかった。 つまり、当時は生まれた子供は母方の家に帰属するという母系社会であり、かつ誰を実父(生物学的父)とするかということより誰を母方の祖父(社会学的父)とするかということの方が重要な母方の祖父を中心とする家父制社会であった。 明治民法下における家父長として絶対的権力を持つのが、その集団に帰属する子供の生物的父でなくてはならないという概念は家父制の歴史の中では決して普遍的なものではないのである。 更に、瀬地山氏の指摘もあるように、いわゆる日本の旧民法下の家制度のもとは夫婦間の結び付きよりも親子、とくに母子の結合を重視されているという点で、欧米に比べてある種特殊な日本的な色彩を帯びている。 そもそも、近代日本型の家父長制を象徴する言葉に「男は外、女は内」というのがあるが、この言葉は同時に近代日本型の家父制の子供中心主義も象徴している。 子供を養うために男は外で働くべきであり、子供を育てるために女は内(家)にいるべきなのである。 母性イデオロギーは近代日本型の家父制の根幹をなすものである。 『母性イデオロギーは家父長においては女性にとって母親という地位によってのみ存在価値をもたらされるという家父長制的性格を支えるものであり、(中略)子供を生み、母となることにより家族は完成するのである。また、よく指摘されるように、夫に対しても時として母親役割が期待されるのであって、家庭的存在である女性の主要な役割が主婦であるというのはつまり、それはケア役割ともいうべきものであって、その象徴が母親役割である。』 (岩波、1996、「家族の社会学」 熊原理恵、P142)

生命を愛し育むという本能が女性にはあるという母性イデオロギーを女性に押し付けることで、男性よりも絶対的に不利であるジーンゲームへの参加を強要し、「家」は女性の自分のための生産の道を断ち、子供や夫や、ひいては夫の父母という他者への無償の再生産にのみ従事させるという搾取を可能にしたのである。 この母性イデオロギーは三世代同居大家族という家族形態としての「家」が消滅しつつある現在も依然として社会に存在しており、女性たちの中にもこの呪縛は続いている。

『1986年、日仏女性資料センター母子関係研究会が、日本とフランスの女性768人(日本、フランスともに回答者は三十代から四十代で、平均二人の子供を持つ)を対象に子育てに関するアンケートによると、三才以下の子供を継続的、定期的に子供を預けた経験がある者は日本21%に対し、フランスは51%と多い。「子供は三才までは母親が育てるべきだ」という考えを「当然だと思う」者は日本44%、フランス17%で日本が多い。「そんな考え方は神話に過ぎない」とする者は日本5%、フランス21%である。三才までの子育ては母親の手でという考えの人が非常に多いということである。』 (1990、「日本の子育て、世界の子育て」 有地 亨) 以上のように、近代日本型の家父長の特徴としては、第一に「家」に帰属する子供の社会的父が生物学的父であり、それと同時に母の唯一の性的パートナーでなくてはならないという「社会的父」と「生物学的父」の一致、第二に母性イデオロギーに支えられた夫婦間の関係よりも強靭な母子関係がある。 この二つの特徴は近代日本型の家父長制の概念の根幹を成すものであり、家族形態としての「家」が崩壊した現在でも「家父長制的思想」として社会の中に生き続けている。

7、近代日本型家父長制度のしくみ

家父長制的家族形態とは、男性がジーン遺伝での有利性を生かして、女性のミーム遺伝ゲームへの参加を制限、あるいは禁止するシステムである。 そして、いわゆる「家制度」という近代日本型の家父長制的家族形態は“家”に帰属する子供も生物学的父と社会学的父の一致と母性イデオロギーによる夫婦間よりも強靭な母子関係という二つの特徴をもつシステムであった。 ここでは、この二つの特徴を手掛かりとして「家」というシステムがどのような仕組みで女性のミーム遺伝ゲームへの参加を制限、あるいは禁止していたかを明らかにしたい。 私はこの家制度という家父長制は家に帰属する子供に対してジーンを遺伝する者とミームを遺伝する者の分業制度であったと考えている。 明治時代、民法で婚姻は慣行によって成立しるのではなく、女が夫の家に入り、その家の氏を称すること、戸籍史にそれを届け出ることによって成立する法律婚しか認めないことを定めた。また、同時に婚姻のためには親の同意が必要であると定めたので、婚姻が“個人”と“個人”の慣行ではなく、“家”と“家”の法的結び付きになった。 (弘文堂、森山和江「いのちを生む」p143引用) さらに、科学的事実とは異なり、夫婦に子供ができないのは嫁の責任とされていた。当時の人々も不妊の原因が男性側にある場合があることを知ってはいたと思う。しかし、子供ができないからという理由で夫は妻を変えることはできても、妻は夫を変えることはできなかったのである。妊娠、出産は全て女の責任であるとされていた。母性イデオロギーのために、“母”になることが唯一の女性の存在価値であるとされ、職につくことが認められていなかったこの時代、嫁として一人前に出産、育児が出来ないということは、女として一人前でないということであった。 つまり、女の最大の仕事は、嫁として、その家のジーンを受け継いだ子供を“家”に提供することであった。“子供を生まない”ということは、それだけで離婚の条件となり、“子供を生まない”女というのは家制度において一人前の女と見なされなかった。 しかし、一度、子供が生まれて女の体から離れると、直ちに子供は最年長の男を中心とした家制度に組み込まれ、その家の家風に合うように、教育される。どのような躾して、どのような学校教育を受けさせるか、どのような情操教育をするかなど、どのミームを子供に遺伝させるかは女である母親は決定できない。それを決定するのは家であった。実際に、子供にミームを遺伝させていくのは母親であっても、それらのミームは年長男性を家父長とする「家」のチェックを受け容認されたものに限られるのである。 家制度においては、ジーン遺伝つまり、妊娠、出産は全て女の責任であるとされていたために“性交渉をしても子供を生まない女”という男の幻想のために法的に認められた公娼婦が妊娠した場合、男は何ら責任を問われることはなかった。また、未婚の娘が妊娠した場合、たとえ結婚の約束をしていても、妊娠は女の責任であるので、周囲に非難されるべきは女であった。 だから、これらの家制度から外れた女性が子供を生んだ場合、その養育の全ての責任は女性の側にあった。しかし、女は子供に対してジーンを複製することはできても、ミームを複製することはできないとされていたから、家制度から外れた法的父親をもたない子供、 いわゆるそ私生児は文化的遺伝子、ミームの遺伝を受けられなかった子供として社会外の社会で生きる日陰者となるしかなかった。 そのため、女性は結婚するまで貞操を守らなくてはいけないという思想が生まれた。 そしてこの貞操概念こそが近代日本型の家父長制家族形態に“家”に帰属する子供も生物学的父と社会学的父の一致という特徴をもたらしたのである。 このように、家制度は一人の人間を育てあげる過程としてのジーン遺伝とミーム遺伝の女性と男性の分業制度であった。前述の“いのちをうむ”という著書の中で、森山和江史は、“女は自然であり、男は文化である”という言葉を書いているが、それはこのことを示唆しているのではないかと考える。 この分業制度を確立することで、以下のような理論で男性は女性に対してミーム伝達ゲームへの参加を制限した。 ジーンを遺伝させることが女性の義務であり、ミームを遺伝する必要がない。そのために女性は高い教育を受ける必要はなく、女性はある程度の年齢のなったら結婚しなくてはならなかった。(女性が男性とは異なり、年齢を重ねると、生殖というシステムにおいて、 条件が不利になっていくのはことは、先述)更に、ジーンを遺伝させることが女性の義務であるために、女性が自己実現の為に行うあらゆる文化的活動も、妊娠、出産よりも優先されるべきものではないのである。 つまり、男性は家制度においてジーン遺伝を女性の領域、ミーム遺伝を男性の領域とし、 母性イデオロギーを強調することで「家」に組み込まれて出産、育児を行うことを女性に強要すると共に、家を通して子供に対するミーム遺伝を管理することで、離婚=子供との離別という言わば子供を人質にとり、強靭な母子関係を作り上げている女性に対して「家」 からの離脱を禁じた。(現在の離婚の増加の一因として、離婚が必ずしも子供との離別を意味しなくなったことがあるとは上野千鶴子の指摘である。) そして、圧倒的に不利であるジーン遺伝ゲームへの参入を強いられ、なおかつ、そのゲームから降りることを禁じられた女性は、そのことによってミーム伝達ゲーム、例えば政治、経済、芸術などのへの参加を著しく制限、または禁止されたのである。

8、義務としてのジーンゲームから自己実現のためのミームゲームへ

以上のような旧民法下においてのジーン遺伝ゲームにおいてもミーム遺伝ゲームにおいても敗北した状態から何とか脱出しようとして女性たちはいろいろ試みを行ってきた。その甲斐あってか、ある程度は状況を改善することに成功してきた。それを“女性の解放”と呼ぶならば以下のような段階を経てきたと考えられるだろう。

◎女性の解放の諸段階 フェミニストの上野千鶴子氏はその著書「女という快楽」(勁草書房、1986年)女性の解放はいかのような段階を経て進んできた、と述べている。

第1期〜「仕事か、家庭か、」 女性たちが、「仕事か、家庭か」の二者択一を迫られていた時期。戦後の混乱期に男女平等の教育の洗礼をうけて職場に女性か進出し始めたころ。 この時期のおいては「結婚したら主婦」になるのが当たり前とされていた。もちろん、結婚で避けることで性的役割分担から逃れるという「最後の手段」は残されていた。しかし、仕事の場にとどまる女たちは、非婚の女性たちは(未婚の若い女、嫁きおくれのハイミス、死別した後家さん、離別女性)つまり結婚の外側にいる、あるいは、結婚からはみ出した女性たちで、「働かなくては食べていけないかわいそうな女たち」であった。職業婦人といえば、結婚、家庭、子供をあきらめ、自分の女らしさを抑えて男社会で孤軍奮闘している女姓の事であった。結婚したら、職業は放棄すべきだし、職業をもてば、結婚はあきらめるべきだったのである。

第2期〜「仕事か子供か」 職場での女性の存在場所が確保されると、働くと婚期を逸するとはだれも夢にも思わなくなってくる。それどころか働く女性は相手を十分物色できるが、職場に出ないと男に出会う機会もない。家事にしても大幅に省力化したので、仕事をしていてもがんばれば、夫に頼らずとも一人でもこなせる。男性の方も、働く女性は生き生きして魅力的だとか、少しくらい自分の仕事について分かってくれたほうが妻にするには好都合だ、と考えるひとが増えてきている。(だが、まだこの段階では妻が夫ある自分に家事を分担させることなくこなす範囲でのという条件つきだったと筆者(右田)は考える。)ともかく、女性にとっ て、結婚と仕事の両立も不可能ではなくなった。 しかし、それは「夫婦だけの家庭」との両立であり、「子供」という存在は女性に「母親」という役割を与え「育児」という義務を課す。「家事」は省力化も手抜きもできるが、「育児」はそうはいかない。しかも、社会(あるいは夫)は、主婦と同じ「育児方法」を彼女たちに要求する。それができないと(あるいは、できれいても)、彼女たちの子供は愛情を十分に受けられずに育てられている、と働いている母親たちは責められる。 そこで、女性たちは「仕事か、子供か」という新しい二者択一を迫られたのである。しかし、まだこの時期は「産まない」という選択肢は女性にはあたえられていなかったと思われるので、正確には、(あくまで社会的に)「よい母親か、わるい母親か」かの選択であり、当然、前者を選ぶ(選ばざるおえない)女性が多かったと筆者(右田)は考える。 第3期〜「仕事も家庭も」パート1 このようなリスクを負いながらも、戦後30年、女性はどんどん職場進出をし、そして、 社会的にも、経済的にどんどん強くなった。第1期の「仕事か、家庭か」の時代の働く女性のモデルは結婚もせず、子供も持たず、その道一筋に進んだ女性だった。しかし、この「仕事も家庭も」の時期になると、主婦としての役割をきちんと果たした上でなおかつ仕事もバリバリこなすスーパーウーマンが「働く女性」のモデルとなった。 しかし、このような「仕事も家庭も」という二つの領域において一人前の仕事をこなせる女性がそういるわけではない。彼女たちは人並はづれた能力と体力、そして運をもった女性である。こういう女性の周囲には、たいがい姑か自分の母親がいて育児を助けてくれているものだし、自分だけでなく、夫も子供も健康でなくてはこんな生活が続くわけがない。 このような女性たちは“女性だって頑張れば自立と解放を勝ちとることができる。というモデルを提供してくれそうに見える。「仕事も家庭も」と欲張って、それを全部実現してしまう、女性の自己表現のお手本のように思える。 しかし、これらの“特別な女性”に対して“普通の女”の見方は意外に冷ややかであった。「やりたい女は勝手にやればいい、でも、私は頑張らなくてもいいし、欲張りもしない」というものである。このような“自分の能力の限界を知っている普通の女”に対して“特別な女”は「だから、女は」と悔しがる。 この時期は「仕事も家庭も」という女の自己表現はエリート女の自己解放であった。そして同時に女同士の格差が開いた時期だった。 第4期〜「仕事も家庭も」パート2 第3期では、女性だって欲張って、頑張れば自立と解放を勝ちとることができるというのもだった。しかし「男性」は欲張って頑張らなくても「仕事」も「家庭」も手に入れることができる。これは家庭責任をすべて女に任せているからである。それなら、「仕事」の場において“男並みにできて始めて一人前”というのはおかしいんじゃないか。「家庭」 のおいて男性が“男並み”なのだから、「職場」において女性が“女並み”でなぜ悪い、という「仕事も家庭も」パート2は、普通の女のいわば「居直り解放」であった。

上野千鶴子氏は以上のように「女性の「結婚」のよる義務からの解放」を4段階 にわけて、次のようのまとめている。 「1〜3期においてはただひたすらに女性の側の努力の達成だった。それは同時に「女性解放」が女だけの問題であったことを示す。しかし、第4期においては女だけの努力では限界があることむしろ男の側の変化こそが大切なのだ。つまり、女性の解放はもはや女だけの問題ではなくなっている。」.

これを筆者なりにジーンゲームからミームゲームへの転換という立場で考えると次のようにまとめられる。

「第1期においてはジーン遺伝を放棄しことで家制度に組み込まれることを拒み、男としてミームゲームに参加するか否かの選択、 第2期においては何時、娘としてのミームゲームへの参入を終え、家制度に組み込まれることで母としてジーンゲームに参入するかという選択、第3期は家制度の外で娘として参加するミームゲームと家制度の中で母として参加するジーンゲームを両立できるか否かの女性たちの分裂化、第4期は家制度の外での母としてのミームゲームにおいての立場の確保と参入である。」 このように女性の解放とは、いかにジーン遺伝による女性のコストを軽減し、ミームゲームに投資できるコストを大きくするかということをテーマに進められてきたと思う。 そしてこの試みはある程度は成功したと私は考える。 しかしながら、人口子宮が存在しない以上、ジーン遺伝そのものにおいて女が男よりも支払うコストはどうしても割高なのである。そしてことが、いわゆる「女性解放」がある程度の成果しかあげられない理由である。 つまり、ジーン遺伝のコストが高いということは育児という新なるコストを支払う可能性が高いということであり、育児をするということは三世代同居という家族形態としての「家制度」が崩壊しつつある現在も根強く存在するということであり、家父長制的システムに組み込まれやすいということは女性にとってミーム伝達ゲームを制限されやすいということなのである。 現代における婚姻形態の変化はジーン遺伝そのものに対する、あるいはジーン遺伝を前提とした家父制度においての結婚形態に対する女たちの疑問や迷いが原因となっているのではないだろうか。

9、結婚観の変化〜岸田説にたいする抵抗感

最近の婚姻形態の変化の理由として女性の「結婚観」の変化があげられている。では、どのように変わり、そして、どうしてそれが、そのような変化につながるのか。岸田秀による結婚という制度における「女性の性価値商品」説を例にして考えてみたい。

岸田秀の結婚=特定売春説 『岸田によると、人間の婚姻制度は男に母子を養わせるかわりに妻の肉体を性的に専有・享受する権利を与える制度であり、特定一人を対象とする売春であるというものであった。 そして、それは人類のあかちゃんは養育に多大な労力が必要なため、片親(父)はもう片親(母)と子との両方を養わねばならない、しかし、男には母子を養う「本能」はない。そこで、男性の性欲を遮断し、女の肉体を「商品」化し「女=商品」を得るために見合った労働をせざる得なくした、という制度であった。』

この結婚の定義は「家」制度においての「結婚」の実態を的確に表している。まず、子供の存在を「結婚」の前提条件としていること、次に男には(母)子を養う本能はないとすることで、暗に女には子供を養う本能があるという母性イデオロギーを掲げていること、 そして、育児労働に対するコストが非常に大きいために、夫は外で働き、妻は内(家)で子供の世話に専念する(=妻自身のミーム伝達ゲームへの参加が制限あるいは禁止)という家父長制的家族形態が成立すること、かつ、「結婚」するには妻は肉体を夫に専有させなくてはならないという貞操観念のために「家」に帰属する子供の生物学的父と社会学的父の一致という特徴が生まれるのである。 よって、この岸田による結婚の定義は「家」制度が存在していた時代の人々にとってはあまり抵抗のない言説であったと思われる。 しかしながら、現代においては、特に未婚の若い世代にとってはこの岸田説は非常に抵抗を感じる言説である。 なぜなら、岸田説は彼らが理想として描いている「結婚」とは掛け離れたものであるからである。では、現代の若者が望む結婚とはどのような結婚なのだろうか。これをどうして岸田説に抵抗を感じるのか、ということ手ががりとして考えてみたい。 岸田説に対する反論として「結婚は必ずしも子供の存在を必要としない」という意見と「セックスを媒体として結婚するのではない」というという意見と「夫婦間の関係を夫が妻と子供を養い、妻は夫に養ってもらうという男性上位の関係と決めつけている」という意見の3つの意見が当然のこととして予想される。そして、この3つの意見のあとにはこう言葉が続であろう。「結婚とは“愛”によって成立するものである。」と。 この3つの反論こそが現代の若者の理想の結婚像を象徴するものである。つまり、「結婚とは“愛”という精神的絆によって成立するものであり、子供を持つ、持たないは夫婦の“自由”であり、妻と夫は“平等”な立場である。」これが現代の若者の理想の結婚像とも言うべきものである。それは以下のような調査によっても明らかである。 『1992年6月経済企画庁が実践した「平成四年度国民生活選好考調査」(3000人対象)によると、結婚する際に、結婚相手の条件のなかで何を重視するかについて、「性格が会う」は男女とも7割以上の人が重視している。』 (1993、有地亨、「家族は変わったか」 P177) 『1990年、経済企画庁の「家庭間の関するアンケート調査」(首都圏の20才以上の男女2500人を対象)によると、子供を作らない夫婦について「個人の選択の問題であり、いろいろな夫婦の在り方があって当然」 58、2% 「人は子育てを経験して初めて人間的に成長、一人前になるものである」 22、3% 「次世代を担う世代を作るという社会に対する責任をはたしていない」5、0%である。 (1993、有地亨、「家族は変わったか」 P204) 『1980年に、当時、20〜30代(1950〜1960年生まれ)の東京に居住する女性について、結婚に関する調査が行われている。 それによると、結婚の型で、トップはお互いに人格を尊重し、結婚生活では同等の責任を果たしていこうとするパートナーシップ型(34、4%)で、お互いに束縛もなくともに生活していこうとする友達夫婦型(24%)の双方で六割を占める。』 (1980、「現代女性の意識調査ー80年代の女性を見つめる」、PHP研究所、) では、“愛”という精神的絆によって成立し、子供を持つ、持たないは夫婦の“自由”であり、妻と夫は“平等”な立場であるという現代の理想の結婚生活は言い換えるならば、 子供の養育というジーンゲームを前提としたものではなく、仕事や夫婦の生活というミームゲームを重視した結婚生活のことである。このような理想的結婚生活とは具体的にはどのようなものなのであろうか。 これに問題に対する模範解答、完全解答はない。あるのは理想に少しでも近づこうとする試みとしての新しい結婚形態である。次の章ではこのような理想の結婚形態の模索についてミーム的立場から考える。

10、婚姻形態や家族制度における変化のミーム的説明

以下は、最近顕著とされる婚姻形態や家族制度における変化を女性のジーンゲームからミームゲームへのシフトという立場からの説明である。

 晩婚化に対するミーム的説明  社会現象としての“晩婚化”は女性が経済的安定したことと、自由な恋愛による自由な配偶者選びが可能になったことが主な理由とされている。  しかしながら、女性の雇用状況や賃金形態をみても、男性と平等とは言えない。そしてもっと重要なことは企業のなかに、いわゆる企業的家父制度が根強く残っているということである。企業とは職場という経済的活動の場であるはずのなのに、企業から結婚をせまられるのである。経済的安定のために、女性が働き続けることは不可能ではなくなったものの、容易なことではない。  現に、1990年の「全国家族計画世論調査」では二十代の未婚女性、987人のうち9割の人が「なるべく早く」、あるいは「いずれ」結婚したいと答えており、「一生結婚はしたくない」とする女性は、5%に過ぎない。  これを、同年、「毎日新聞」が行った「家族世論調査」で同じく二十代の未婚女性の76%が“結婚にとらわれない生き方に”賛成と答えていることを合わせて考えると、自分以外の女性のシングルライフには賛成するが、自分は結婚したいという願望がみえてくる。 次に、配偶者の選択についてであるが、実は結婚の相手を選択する範囲は広くない。ナンパやテレクラでお遊びとしての男女交際をする機会は沢山あっても、結婚しては学生時代の友達や、先輩、後輩、あるいは職場の同僚であって、ある結婚仲介業者が1000組のカップルを対象に調査してところ二人の出会いの場をこれらのいずれかと答えるカップルが73%であった。  以上のことから、若い女性が決して結婚したくないのでもなく、多くの結婚相手としての男性をいわゆるキープしているのでもないことがわかる。  では、なぜ彼女たちの結婚はおそくなってしまうのであろうか。  岸田によると、人間の婚姻制度は婚姻制度とは男に母子を養わせるかわりに妻の肉体を性的に専有・享受する権利を与える制度であり、特定一人を対象とする売春であるというものであった。そして、それは人類のあかちゃんは養育に多大な労力が必要なため片親(父)はもう片親(母)と子との両方を養わねばならないために生まれた制度であった。現在、子供を一人育てることに対する投資量は、以前に比べて増大していると考えられる。教育費の増加は明らかであるし、授乳、おむつ替え、入浴、食事の世話などの育児労働は家事ほど機械化によって軽減されてはいない。また現在、人間の子供は短くても約20年という他の動物とは比較にならないくらいの長期の養育期間を必要とする。しかも、養育は途中で自分の都合のために投げ出すことのできない。   また、養育は多大な労量が必要なために、両親が協力しなければいけない。もし、子供が成人する前に、パートナーに捨てられた場合はその膨大な仕事を一人でしょいこまなくてはいけないのである。しかも、その仕事量はどんどん増えていっているとなれば、パートナー選びは以前よりも慎重になってしまうのは当然と言えよう。  また、遺伝子の形で後世に自己複製子を残す方法では、コストの面においてその量に制限される。 それに比べて、ミームはその量には制限がない。しかも、マスコミ発達やパソコンの普及によってミームの伝播能力は飛躍的に上がっていると思われる。加えて、 高学歴化、経済的な安定などにより、自らが新たなミームを創造することも容易になった、今まで、遺伝子による自己複製子伝達ゲームにおいて劣勢だった女性がミームゲームの方を好む傾向にあるのではないかと思う。このように、晩婚化は女性が男性に選ばれる立場から男性を選ぶ立場びなったからというよりも、遺伝子伝達かミーム伝達かを選べるようになったためであるという風に言えると思う。

 少子化についてのミーム的説明  1992年、ひとりの女性が一生の間に出産する子供の数は平均1、5、人であった。人口を現状維持するためには2、08人の出産が必要であるから、このままでは日本の人口は減少の一途をたどりことになる。  なぜ少子化なのか。  この問題に対して、一般的には女性の就業率の安定や経済的安定を背景とした価値観の変化が回答とされている。 けれども、若い世代が子供を望んでいないということではない。  1991年に総理府が行った「女性と暮らしと仕事に関する世論調査」では、全国の成人男女の3000人の内、三人の子供を望む人が46、7%、二人の子供を望む人が31、4%である。 つまり、大半の人が二人あるいは三人の子供を望んでいるのである。  では、なぜ若い人々は子供の望みながら、子供を作らないのか。  それは、若い世代、とくに女性に以下のような自己複製子伝達ゲームにおいての戦略があるからだとおもわれる。 「ジーン遺伝ゲームに参加するならば、少なくても2〜3人の子供は生みたい。しかし、今はジーンゲームに参加するよりも、ミームゲームに参加している方が効率的に自己複製子を残せるから、今のところはジーンゲームには参加したくない。」  このことを裏付けるもう一つの証拠として、高年齢出産の増加がある。このことは、晩婚化の延長として捕らえられがちであるが、1960年代に始まった急激な出世率の低下以前の高年齢出産女性は晩婚型か不妊症の女性が圧倒的に多かったのに対して、現在はその他の女性と同じ年齢で結婚したけれども、多くの女性が結婚後2〜3年後のは第一子を生むの対して、結婚後6〜7年経ってから第一子を生むという女性が増えている。

熟年離婚のミーム的説明 熟年離婚とは子供を養育し終えた中年夫婦がする離婚のことである。ここで注目したいのは、熟年離婚は妻の方からの申し立てが多いということと、理論上は男性はいつまででも父親になれるのに対して、女性はある年齢になると母親になる権利を失うということである。 男性が熟年離婚をするとしたら、それは新しい妻を迎えたいからであろう。そうすれば、彼はまた遺伝子を伝達することができるからである。しかし、若い男性と競争して、若い女性を勝ち取れる人は実際問題としてそう多くはいないから男性からの離婚の申し立ては少ないであろう。 それに引き換え、女性は多少の時期の差はあるにしても全員、遺伝子による伝達を完全に諦めなくてはいけない時がやってくるのである。そして、そんな彼女たちに残された最後の自己複製子伝達法はミームによる伝達ある。かつ、現在、熟年と呼ばれる世代は、高度経済成長を支えてきた世代である。だから、彼女たちは娘としての社会進出は経験したもの、結婚によって専業主婦なり、子供の養育というジーン遺伝に専念してきた人達である。そのために、「これからはお互い自分の為に人生を生きましょう」という言葉に代表される、女性の側からの三行半による熟年離婚が多いのではないだろうか。

セックス・レス夫婦のミーム的説明  セックス・レス夫婦とは、夫婦間における性交渉がほとんんどない、あるいは全くない状態の夫婦の事をいう。精神的絆を結婚において重要視するようになったためにこのような夫婦が増加したとよく説明されるが、私はこの人々は遺伝子による自己複製子伝達を放棄して、ミームによる伝達に全力を捧げている人々であると思う。この説に対しての反論として挙げられべき当然の問題がある。それは、人が生殖を伴わないセックスを可能にするために、古代から“避妊”という方法を確立しているということである。遺伝子で自己複製子を後世に残すことを放棄したとしても、避妊をすることで妊娠、あるいは子供の養育を回避することができる。なにも性交渉そのものを放棄する必要はないのである。  そもそも、人はどうして生殖を伴わない無駄な性交渉をするのかという問題がある。この問に対して栗本慎一郎氏はこのように解答している。

 「人は日常生活において、秩序やタブーを守って生活している。そうしないと社会生活が破綻することを知っているからだ。そして、生産活動に励んで“過剰”を溜め込む。しかる後にある時、ある場所を選んで性という行動を通して、それらの過剰を消費する。

 つまり、人の性の根源はエロティシズムにあるが、そのエロティシズムの根源は性的なものではないということだ。過剰に蓄えられた性的エネルギーを処理し、蕩尽すると意味からすれば、きわめて「経済学的」なものだということができる。生殖はその結果としておこるものにすぎないのだ。 過剰を消費しなくては人の社会は病み衰えてしまう。それを防ぐために人は無駄なセックスをするのである。」 (以上、パンツをはいたサル、P105〜P108要約 ) 確かに、人間は生きて行くのに必要なエネルギー以上“過剰なエネルギー”をもっていると私も思う。しかし、そのエネルギーを性的な行為(或いはその他の消費的行為)でしかこの過剰なエネルギーを処理できないとは思わない。人の生活には必要としない無駄な何かを作り出すことによっても、その“過剰”なエネルギーを消費することも可能であると思う。 要するに“消費する”ことが人には必要なのではなく“無駄”な行為は必要なのである。 また、消費するよりも創造する方が、エネルギーを多く必要とするので、“過剰”なエネルギーを消費するには効率がよい方法ではないかと考える。  しかし、人は自分の過剰なエネルギーを消費しようなどと考えて性交渉を行うのでない、ただ快楽のために行うのだ、という考えもあると思う。そこで支点を変えて生殖を伴わないセックスとミーム伝達を“快楽”という支点から見てみることにしよう。  セックスと同じように、人がミームを伝達しているとき、(つまり、画家が一枚の絵を書き上げたとき、学者が一つの学説を考えついたとき、音楽家が一曲の歌を作曲しおえたとき)、そこに快楽をあることを想像することは難しいことではない。  しかし、セックスによる快楽とミーム伝達による快楽とは、肉体的なものと精神的なものと性質が異なるので、ミーム伝達行為はセックスの代替行為とはなり得ないとの意見があるかもしえない。  ミームの中には当然、肉体的快楽を伴うものもあるし、またセックスそのものにおいても、人は肉体的快楽よりも、精神的快楽を求めているということは、人が動物とは異なる性交渉形態を持つことからも明らかである。同じ精神的快楽ならば、セックスの快楽よりも、ミーム伝達の快楽の方が大きいこともありえるし、お互いの代償の可能であると思う。  ディンクスについてのミーム的説明 ディンクスとは妻は働くけれども、家計補助のために働くのではなく、女性の地位の向上を目的として、夫と同じように仕事をし、夫と同等の収入を得て、夫婦ともに結構キャリア指向で、家事も共同で分担し、夫婦の生活を楽しむために子供は作らないという夫婦のことである。彼らが従来の子供のいない共働きの夫婦とどこが違うかというと、彼らが目指しいるものは夫婦それぞれの経済的自立と精神的自立であり、性別役割分担体制からの離脱である。   このような婚姻形態を望む人々について有地亨氏は以下のように分析している。 『1960年以後に生まれた人々のことを新人類という。かれらは自由と平等に恵まれ、物に対する飢えを知らない。そのため、昭和の一桁から十年代に生まれ、敗戦、戦後の激動の時代を耐乏生活によって育った親とはかみ合わず、このような意味での情緒の交流にと乏しい。  このことが、彼らに“大人になろうせず、他人との付き合いのは一定の距離を置き、社会から孤立化傾向、そして無表情”という特徴を与える。そして、この新人類と称せられる人々の家庭作りの一つの形といて、ディンクスという婚姻形態がうまれたのでる。  しかしながら、この説明ではディンクスを望む人々の多くがキャリア指向で社会的地位の高い人々や高学歴、高収入の人々が多いのかは説明できない。  キャリア指向で社会的地位の高い人々や高学歴、高収入の人々というのはミーム生産力の高い人々である。このような人々がお互いのミームゲームを邪魔することなく共同生活を送ろうとする試みがディンクスという婚姻形態を登場させたのである。

 以上のように、現代日本における婚姻形態や家族形態の変化は戦後の日本において経済的発展や教育制度の整備などにより、特定の階層の特定の性別をもつ人々の自己複製子伝達だったミームゲームが誰でも参加できるゲームとなり、それまで、現在の婚姻形態の変化は根本的に不利なジーンゲームへの専制参加を強いられてきた女性たちのミームゲーム指向に由来すると考えられる。しかしながら、戦後の日本において経済的発展や教育制度の整備はミームゲームを一般化すると同時に、それまで、大差のなかった中流、下流のされれいた階層の人々のミーム伝達能力、又はミーム生産能力の個人的差異を大きくした。  なぜなら、それまで伝統的、世襲的に継承されてきたミーム伝達能力、又はミーム伝達能力が個人の努力によって入手可能になったからである。このことにより、いわゆる一般大衆と呼ばれる人々がジーン遺伝ゲーム指向とミーム遺伝指向が二極化したと考えられる。とすれば、ミーム指向の高い人物または、ミーム生産力の高い人物はジーン遺伝に対してコストを支払うことを拒み、逆にミーム指向の低い人物または、ミーム生産力の低い人物はミーム遺伝に対してコストを支払うことを拒むのではないだろうか。、  回答者は未婚の男女それぞれ50人、計100人である。 男性の平均年齢は21、42才、女性は21、14才である。  アンケートの全質問は別紙のとうりである。 このアンケートの中で、男性全体の理想結婚年齢は28、3才、第一子希望年齢は29、52才である。これに対して、ミーム生産力の高いと思われる「文章を書いたり、本を読んだりするのが好き」と答えた人の理想結婚年齢は30、0才、第一子希望年齢は32、01才である。  また、女性全体の理想結婚年齢は26、24才、第一子希望年齢は27、24才である。これに対して、ミーム生産力の高いと思われる「文章を書いたり、本を読んだりするのが好き」と答えた人の理想結婚年齢は27、42才、第一子希望年齢は28、32、才である。  いずれも、全体の平均値よりも、高ミーム生産力者と予想される人々の方が高い。  このようにミーム指向の人々はジーン伝達ゲームに対してコストを支払うことを拒むあるいは削減しようとする傾向がある。  このことが、少子化や夫婦のよるジーン遺伝を前提をした“結婚”を拒む非婚化やミーム遺伝のための晩婚化、あるいは夫婦のよるジーン遺伝を前提としないディンクスやセックスレス夫婦など新しい婚姻形態などの登場させた原因というえるだろう。

11、最後に

 このように、最近の結婚に対する人々の観念の変化は結婚形態そのものの変化をドーキンスのミーム説を比較検討してみると現代日本の自己複製子伝達ゲームは遺伝子ゲームは下火になり、ミームゲームが盛んになっていると考えられる。  さらに、現在ミームの生産力や伝達力や飛躍的の向上していうる。このことは、特に電子メディアの発達が大きいと思う。  例えば、あるネットに自分のホームページを解説しておけば、半永久的にその人のミームは複製されつづけるということになる。 しかも、これらのミーム生産に対して必要とされるコストは経済的コストも労働力的コストもどんどん少なくなっている。  つまり、社会的に特別な地位や並外れて高い経済力を持たない一般大衆が電子メディアを利用することによって、家に居ながらにして、現在だけでなく、未来も含めた世界中の人々に対してミームを伝達、複製することが可能になったのである。  今後の見通しとしてはミームゲームがますます盛んになると考えられる。そして、いままでの遺伝子ゲームにおいて分の悪かった女性や老人、年少者によるミームゲームによる遺伝子の伝達が多くなると思う。  しかし、このことは、特定の社会的地位や経済基盤あるいは性別によって伝統的、世襲的に受け継がれていたミーム生産力のが個人の努力によって変動するという個々人のミーム生産力の先天的固定性が薄れたことを示す。 そして、同時に同じ社会的階層を形成する個々人のミーム生産力の差が大きくなったということである つまり、現代ではミーム生産力の高い人とミーム生産力の低い人の差が以前と比べて大きくなていると言える。  また更に、自分がミーム生産力の高い人になるかミーム生産力の低い人になるかということが流動的になったと言えるだろう。  そして、将来、電子メディアがもっと発達することが予想されるので、このような現象ももっと進むと予想される。  このことより、ミーム指向とジーン指向の二極化進み、現在のような晩婚、少子な夫婦よりも、子供を持たない夫婦と反対に子沢山な夫婦、あるいは育児に多大なコストを支払うの夫婦の家庭の増加が著しく顕著になると予想される。

参考文献 中央文庫「続ものぐさ精神分析」 岸田秀 中央文庫「ものぐさ精神分析」 岸田秀    レジュメ「セクハラ・ブーム」  櫻井芳生 光文社 「パンツをはいたサル」栗本慎一郎 紀伊国屋書店  「生物=生存機械論」リチャード・ドーキンス著 日高敏隆 岸由二 羽田節子訳 文昇堂 「サイバー・レボリューション」   編集 金田善裕 河出書房新社「エイティーズ〜80年代全検証」 いとうせいこう、上野千鶴子、 他多数草思社    「なぜ、愛は終わるか」         エレン・E・フィッシャー 勁草書房「フェミニズム論争」江原由美子編 勁草書房「女性解放という思想」江原由美子 勁草書房「フェミニズムの主張」江原由美子 弘文堂 「いのちをうむ」   森崎和江 新生社 「ジェンダー」 原ひろこ、大沢真利、丸山真人 編 岩波書店「家父長制と資本制」 上野千鶴子 河童書房  「性愛論」    上野千鶴子 ゆうひかく選書 「家族は変わったか」 有地亨 岩波書店 「家族の社会学」 井上俊、上野千鶴子、大澤真幸、他、編集 勁草書房 「フェミニズム問題の転換」 金井淑子 人文書院 「母性を問う(上)(下)」 脇田晴子編 平凡社「日本における性別役割分業の形成」 千本暁子 平凡社 「制度としての《女》」荻野美穂他 岩波書店 「中絶の社会史」   田間泰子 BOC出版「産む、産まない、産めない」 赤羽ひとみ 岩波書店 「母性」     江原由美子編 勁草書房 「良妻賢母という規範」小山静子 有斐閣  「21世紀家族へ」 落合恵美子 勁草書房「近代家族とフェミニズム」 落合恵美子 新曜社「戦略としての家族」 牟田和恵 日本経済新聞社 「イエ社会と個人主義」 平山朝治 勁草書房「マルクス主義とフェミニズムの不幸な結婚」ハートマンハイジ著、田中和子訳ミネルヴァ書房 「家族役割の研究」 上子武次 近代文芸社 「わたしの男性学人生相談によるイエ意識」 中村 彰 嵯峨野書院 「親族法、相続法」大原長和、大塚勝美、本庄武雄編 有斐閣 「専業主婦の消える日〜男女共生の時代」金森トシエ、北村節子 有斐閣 「シングルカルチャー〜ポスト家族のゆくえ」青木やいひ

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