続・「ネットワーカー=二流」仮説
    ―「低敷居階級社会」という「希望」―

     桜井芳生(著作権保持)

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「ネットワーカー=二流」仮説 ―「低敷居階級社会」という「希望」―

と、いうのを急に書こうかと思い立ちまして、以下のような論文構造設計表がで きてしまいました。

未だ思い付きの段階ですし、設計表ですので読みにくいし、説明不足の所も多い と思います。

関心のない方は、読まずにお捨てください。

また、いちいちお名前はあげませんが、ネットでいただいたいままでの多くの方 のコメントに啓発されています。お礼申し上げます。

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971226「ネットワーカー=二流」仮説 ―「低敷居階級社会」という「希望」―

(論文構造設計表)

971229【主要問題】来るべきネットワーク社会をどう見るか?

【主要回答】二流の人たちが相互承認しあう二流社会となる可能性が高い。 (「ネットワーカー=二流」仮説)

【問い】このような「二流社会」をどう評価するか?

【答え】必ずしも、悪い社会ではない、と評価する。

【問い】なぜ、そう評価するのか?。

【答え】近未来の日本は、「平等に誰でも出世できる可能性があり、そうである がゆえに、誰もが自己陶冶すべきである」という前提(「平等・出世・陶冶」前 提)が成り立たないから。

【問い】なぜこの「平等・出世・陶冶」前提がなりたななくなったか?

【答え】じつは実際にははじめからなりたっていなかったのだが、「成長」のお かげで、この前提があたかも成立しているように見えていた。しかし、成長が止 まることで、この前提の困難性が露呈した。

【問い】この前提の困難が露呈することで、なにが現実におきているか?。

【答え】マークス寿子や、大磯正美が指摘する、「現代日本の若者はどーしよう もない」という現象である。

【問い】なぜ、このような二流社会がとくにネットにおいて生じるやすいのか?。

【答え】マクルーハンのメディア論を「修正」した、(桜井による)「電子メー ル=マッサージ説」によって、説明される。

【問い】「電子メール=マッサージ」説とはなにか?

【答え】マクルーハンはおもに、メディアが「文字」か「電子」か等で、メディ アを分類した。しかし、これでは、電子メールは、「文字」メディアか、「電子 メディア」か、不明である。むしろ、メディアと身体との「距離」によって、メ ディアを分類するのがよい。すると、電子メールは、非常に身体にとって距離の 小さいメディアとなりうる。ここから、電子メールはある人たちにとっては、理 性的コミュニケーションのツールというよりは、感性的な、「相互マッサージ」 のメディアになりやすい。

【問い】ネットが二流化しやすい他の要因はないか?。

【答え】ある。少なくとも現在日本においては、実際の世間とマスコミこそが 「オモテ社会」である。このオモテ社会で十分承認を受けていない人が、ネット に参入して、相互承認することがありそうなことである。

【問い】こうなりそうな人の類型はあるか?。

【答え】ある。たとえば、「大学院生」と「派遣社員」である。ともに、オモテ 社会では十分な承認を受けていないが、ネットへのアクセスは比較的容易である。 (さらに、近い将来においては「主婦」と「定年後おじさん」がこの類型になり そうだ)。

【問い】他に、現代においてメディアを考えるうえで不可欠な視点はあるか?。

【答え】ある。金原のメディア二世説と、宮台のインターネット=テレクラ説で ある。

【問い】なぜ、前述の「前提」が成り立たないと、「ネットワーカー=二流」社 会は、「悪くない」と評価されるのか?。

【答え】前述の「前提」が成立しないと、「誰もが、出世をめざしてがんばろう」 ということがむなしく響く。とすると、「それでも、出世をめざしてがんばる人」 と、「期待値の低い出世競争から、『降りる』人」とが二分化する。後者の「降 りた人」が、相互承認しあい「生き甲斐」を見いだす場の一つとして「ネットワ ーク=二流社会」は有効だ。

【問い】このような、「必ずしも一流でない人たちどうしが、相互承認しあい、 生き甲斐を見いだす」ような社会的仕掛けのモデルとなるような前例はないか?

【答え】ある。たとえば、江戸時代における「家元制」である。

【問い】このような来るべきネット社会において、われわれの生きる構えとして、 変えるべきことはあるか?

【答え】ある。たとえば、「完全な批判性の要請」を棄て「マシな権威主義」を とる、ということである。

【問い】説明せよ。

【答え】近代社会においては、暗黙裡に、ある問題に関して誰でもすべての情報 を収集しすべてを疑うという「完全調査・完全批判」の要請が前提されていた。 しかし、これは、マスコミによる事前情報選択と、知識人が実は少数であったこ とによっていた。今後のネット社会ではこの要請は現実的でない。ほとんどの人 は何らかの程度で、情報取得上の「権威」を利用せざるを得ない。むしろ、諸・ 権威のうちからどの権威が相対的に信用できるかという権威の選択の感覚の涵養 が望まれるだろう。

【問い】このような、一流と二流という「階級社会」はどのようなものであるべ きか?

【答え】旧来イメージされていたような「階級移動が困難な、いわば階級間の敷 居が高い」ような社会ではなく、「階級間の移動が容易な、いわば階級間の敷居 が低い」ような社会が望ましい。

【問い】そのような社会が可能か?

【答え】可能である。進化論的ゲーム論の「進化的に安定な戦略」の議論を援用 すれば、「階級間の敷居が非常に低く、階級間移動が比較的容易、でも、状況に 応じてかなりよく人々が自分の選択によって階級分化する」ような状況を示すこ とができる。

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