入試英語は、長文速読幻想は棄て、全文和訳させよ。ディクテーションも必須

       桜井芳生(著作権保持)桜井研究所通信980302

           sakurai.yoshio@nifty.ne.jp
          http://member.nifty.ne.jp/ysakurai/

980227【長文速読幻想は棄て、全文和訳させよ。ディクテーションも必須】

980302先日、国立大学の入学試験(個別学力検査前期)があった。鹿児島大学の 英語の問題を見る機会があった。わたしは、鹿児島大学に所属している者である が、配偶者が予備校教師をしている関係もあって、入試の作成には、一切タッチ していない。入試英語は、日本人の英語力陶冶に関して「ネック」となっている とおもうので、いささか場違いかもしれないが、ここに、入試英語についての私 見を述べておきたい。

980302鹿児島大学の英語問題は、国立大学としては、まあ標準的なものであると おもう。が、私は、まさに、標準的な問題形式が大きな問題をはらんでいると思 うので、批評してみたい。逆にいえば、鹿大の問題が標準的であるがゆえに、本 稿は、入試英語一般への批評としての一般性をももつとおもう。

980302【長文総合問題の、問題性】

鹿大の英語問題の、第一問と第二問は、いわゆる「長文総合問題」だ。1〜2ペ ージの英文があり、それぞれ二カ所「下線部訳」の問題と、他にいくつかの設問 がある。というものだ。いわゆる「よくあるパタン」である。

このよくあるパタンがじつは大問題だとおもうのである。当日試験監督として見 まわったところでは、「下線部訳」を後回しにして、その他の設問から埋めてい る受験生が多かった。また、英語関係の先生のいくにんかにうかがったところで も、下線部訳が完璧にできる受験生はあまりいないようである。私が日頃の授業 で、学生に英文を訳させても、正確な英文和訳のできる学生はすくない。

下線部訳といっても2〜3行で、それほど難解な部分とはかぎらない。

こんな【2〜3行の平易な英文が正確に訳せないレベルなのに、1〜2ページの 長さの英文を読ませることに、どんな意味があるのだろうか?】

下線部訳ができていない受験生のほとんどは、おそらく、他の部分も、【知って いる単語の意味を、【適当に、頭のなかで並べて】、適当な日本文をあてがって いるだけ】ではないだろうか。

とすると、例の「長文総合問題」は、受験生に「英語をいいかげんに読む」とい う【悪癖】をつけさせている悪効果をもっているのではないだろうか。

【全文和訳にせよ】

というわけで、私は、「長文総合問題」は当分やめて、「全文和訳」にすべきだ とおもう。

というと「採点が大変だ」といわれるかもしれない。

全文を短くすればいいのである。6行程度の英文を二つ、都合12行程度の英文 を全訳させるだけなら、採点上の手間はいまとさほど変わらないだろう。12行 も訳させれば、その受験生の英語力はほとんどわかってしまうだろう。

本番の入試が「全文和訳」であるとなれば、高校生も「覚悟」して、正確な翻訳 ができるように勉強するだろう。

【長文速読幻想を棄てよ】

全文和訳のよさは一部の先生方はよくご存じであるとおもう(大 学院入試のほとんどは、全文和訳だったとおもう)。

が、それなのに、多くの大学で、長文総合問題がでてしまうのは、「長文速読幻 想」とでもいったものがあるからだとおもう。

「古くさい『英文解釈』ではなく、長文をすらすら『訳さずに、英語のままで』 理解すべきだ」といった、長文速読【幻想】が。

はっきり言おう。現時点では、多くの大学入試レベルでは、これは【幻想】であって、【百害あって利は少なし】、である。

ごく一部の高レベルの大学の入試をのぞいては、例の長文は、「構文を無視して、 知っている単語に日本語を当てつけて、読んだつもりになっているだけ」になっ ていると思われる。

そして、「英語を読むとは、コンナモンだ」という「間違った思いこみ」を大部 分の日本の若者に植え付けている、と思う。

長文速読幻想は棄てて、大学入試レベルでは、「まずは、正確な読み」を、全文 和訳でテストすべきだとおもう。

【ディクテーションは必須】

第二の主張は、ディクテーションを必ず課せ、ということである。

いまや、音声面を無視した外国語教育は、かんがえられない。

が、どうも、鹿児島の高校の英語教育では、音声面がほとんど無視されているよ うだ。

ぜひ、音声面でのテストを入試で出すべきだと思う。はじめは、ごくわずかでよ い。「でる」ということだけでも、高校の英語教育への「アナウンス効果」が大 きい。

【ディクテーション(書き取り)を、ぜひ】

で、音声面でのテストは、ふつうのリスニングのテストではなくて、ぜひ「ディ クテーション(書き取り)」にしてほしい。

○ ×的なリスニングのテストだと、長文総合問題を「いい加減に読む」のと同 様に、リスニングも「何となくいい加減に聞く」習慣がつく危険性がおおいから だ。

ご存じの方も多いと思うが、聞き取りのトレーニング法としてディクテーション は、多大な効果がある。

はじめほとんど聞き取れなかった英文でも、何回もリピートして聞き取れる部分 から「ジグソーパズルのように」書き取っていくと、当初からは信じられないほ ど聞き取れていくものである。

入試の本番での出題形式が「ディクテーション」なら、受験勉強のときもディク テーション形式でトレーニングする受験生が多くなるだろう。

そうすれば、少なくとも3割程度は、日本の若者のリスニング力は向上するので はないだろうか。

【文法・語法問題は、しばらくやめる】

現在の高校生の多くは、英語の受験勉強とは「桐原の英頻」(桐原書店の「英語 頻出問題演習」)を「つぶす」(一問一答式なので、シラミつぶしていける)こ とだ、とおもいこんでいるのではないだろうか。

桐原の英頻自体は別に悪い本だとは思わないが、この本をいくらやっても、英語 が読めるようにも、かけるようにも、聞けるようにも、はなせるようにも、なら ないとおもう。

で、このような「英頻をやることが、勉強だ」という【誤解】を矯正するために、 今後10年ほどは、文法・語法問題を一切出さない、というのは、どうだろうか。

全文和訳と、和文英訳を課せば、文法語法にかんする知識の正否は十分チェック できると思われる。

【学校英語は、「必要」かつ重要である。】

以上、素人ながらも英語入試について言及したのは、わけがある。現在において も、大学入試英語が日本人の英語習得にとって「ネック」だと思うからだ。

しかも、状況は「悪化」していると思われるからだ。

確かに、旧来の「学校英語」は実際の英語利用にとっては十分なものとは言えな かった。しかし、「学校英語」は、実際英語運用能力の陶冶にとっての「ほとん ど必要」な前提であるとおもう。

日本国内で英語を勉強した人で、学校英語をなおざりにして英語がモノになった 人をわたしはしらない。

コミュニケーション能力の涵養?のスローガンのもとに、旧来の学校英語「でさ えも」できない若者が多くなっている(というか、大部分)と思う。事態は非常 に危機的である。

繰り返すが、入試出題者ならびに高校の先生がたは、長文速読幻想はひとまず棄 てて、まずは、正確な「英文和訳」「和文英訳」「ディクテーション」に、照準 していいただきたいものである。

ぜひご批判をお寄せください。

深謝!!

桜井芳生ホームページに戻る