卒業論文
「おたく論」
―「若者」の「自己意識」確立のための一考察―
指導教官
桜井 芳生 助教授
目次
【第一章】 要約
【第二章】 自己意識
【第三章】 先行研究
1,おたく論
2,モラトリアム人間
3,プロテウス人間
4,カプセル人間
5,おたく
【第四章】 総論
《 論文構造設計表 》
《 アンケート調査結果 》
《 参考文献 》
【第一章】 要約
70年代頃から若者に対する評価、「若者論」が多く論じられてきた。それは、社会における「若者」の存在の変化の現れであった。高度経済成長、情報化社会などの急激な社会変化が「若者」を、社会のなかの主体的存在としていった。
しかしそれらは一方で、彼らの一部に”オトナ”になれない「若者」、<理性>のない「若者」を生み出していった。それは、経済発展と高学歴指向による「若者」の長期化と、社会における「若者」の存在権の拡大、「若者」であることの居心地のよさ、そして”オトナ”になることを強く迫る”オトナ”社会自身の変化、ということが要因としてあげられる。これらによって、旧来の社会では「自己確立のための猶予期間」と考えれらていた「若者」は、「統一的な自己」「絶対的な自己」をもたないことに悩まされなくなり、「自己実現」「自己決定」を探求する意欲が薄れていった。
つまり、「私」による<自己>が形成できずにいるために、社会・組織における<自己>の位置決定が得られず、「合理的な自己」「社会的な自己」が確立できなくなっている。「みんなの納得しうるもの」を自らの世界に見出そうとし、さらにそのなかで<自己>を実現しようとする「自己意識」ー<理性>ーを獲得できないでいるのだ。
社会的拘束が少なく、比較的時間、空間に余裕があり、「自己」を形成する最高の時期に位置する「若者」(主に大学生)が、このような今日の社会のなかで<自己>を決定、確立していくためにはどうすればいいのだろうか。
私はここで、「おたく」になる、ということが「若者」の<自己>形成のための一つの手段となる、と考える。「おたく」は、過剰なほどの選択肢を与えれている今日の私たちのなかで、外部との関わりにおいて自ら閉鎖的であり、世界の範囲を自らで限定している人格者である。「過剰な情報」のなかから自らの「意識」で「判断」し、自らの「意識」によって「選択」している。彼自身による確固たる「価値基準」を備え、絶対的な<自己>を確立している。つまり、「おたく」は、自ら独自の世界をつくることによって<自己>を理解し、そのなかに<自己> を見出し、絶対的な「私による自己」を形成している。
しかし、「おたく」は、特定の物事に熱狂的に没頭している、閉鎖的、非社交的人格の持ち主、として今日の私たちに映っている。そして、それら「おたく」の特徴が、現実と幻想を混同している、二元的世界観のなかで生きている、などといった、かなり強いマイナスイメージを私たち抱かせている。つまり、私たちの多くは、「おたく」的な人間であることに対して否定的、批判的である。
しかし私は、今日の社会において、<自己>を形成し、「自己意識」を確立した「若者」となるためには、「おたくになる」ということが一つの有効な方法だ、と考える。
【第二章】自己意識
人間の<自己>の形成と、「自己意識」の確立について、西研氏の『ヘーゲル・大人のなりかた』から、ヘーゲルの考えを参考にしながらみてみる。
ヘーゲルはまず、「意識はとくに自覚していないときでも、いつでも<自己>という中心をもっていて、それとの関わりで物や他人や世界を認識している」(
西〔1995:92〕)、と考えた。
「その意味で意識はつねに<自己意識>といえる。」( 西〔1995:92〕)
「人間は家族の一員、経済社会の一員、国家の一員として、それぞれ異なった<自己>をもつ。<自己>をどういうものとみなすか、に応じて、その人の<世界>の現れ方が決まる。自己と世界とは別々に存在するものではなくて、相関的に現れる、とヘーゲルは考えた。」( 西〔1995:93〕)
それぞれに異なった<自己>は、どのようにして形成されていくのだろうか。
ヘーゲルは、自己意識の根本的な在り方を、<他と関わりながら自己同一を達成しようとすること>といっている。意識は自分の<自己>をかくかくのものとみなし、その「確かさ」を保持しようとする。
「自分は間違いなくかくかくの自分である、という<自己>の確実性(自己の同一性、アイデンティティ)を得ようとするのが、意識の基本的な傾向なのである。」
( 西〔1995:94〕)
「他との関わり」とはどのようなものなのだろうか。
「人間の意識は、環境に対応して「私の中身」を変えてしまうことができる。環境に対応して<自己>の内容を変容させながら、より強力な<自己>をつくりだそうとする。ヘーゲルは、これらを「意識の動因」と考えた。環境によって意識が変わるため、意識は閉ざされた場面ではなく、つねに「他なるもの」〜他人・自然・社会など〜に向かって開かれている。( 西〔1995:94〕)
つまり、「私」がこの世に存在する限り私の<自己>はつねに「他なるもの」と関わっている、と言える。
ヘーゲルは、この「自己意識の達成」に必要な「他なるもの」を大きく三つに分けている。
@自然----人間は自然に対して依存しながら生き、自然に身をさらしたまま生
@自然----人間は自然に対して依存しながら生き、自然に身をさらしたまま生
きている。自然は我々人間にとってなくてはならないもの、ということは、自然は人間の生存を脅かす存在でもある、ということである。だから私たちは、常に自然を理解し、自然に対する知識を身につけようとする。つまり、そうすることで自然の中に自己を見出しているのである。
A他人----人間の<自己>は、「私」はもちろん、「他者」からの承認をも求め
るものである。しかし全ての他人が「私」を認めてくれるわけではない。否定されたり、無視されたり、闘争になったりもする。まして、不平等な社会関係においてでは、他者の承認を得ることはかなり困難となる。他者によって自己が脅かされる可能性もあるのだが、他者の承認なしではいつまでも「私」だけの自己であり、それは完全に「私」が満足できる自己とはなり得ない。最終的に、互いが自由で独立した人格であることを認め合いう。対等な相互の承認を得ることで人間は初めて自由を実感できるだろう。
B社会----人間は様々な社会をつくりだしてきた。人間が不変的な存在ではな
いため、人間が望む社会も常に変化していく。つまり我々は、社会のルールを常に自分たちの納得のいく合理的なものすることに脅かされている。しかしそうすることで、社会制度は自分たちにとって疎遠なものではなくなる。「私」が満足する社会を自分でつくりだそうとすることで、「私」はそこに<自己>を見出すことができるのである。
( 西〔1995:97,98〕)
自然と他人と社会制度という三つの「他なるもの」は、自己同一を脅かすものではあるが、それと同時に、それらと関わり合うことで、我々はそのな かに<自己>を見出すことができるようになる。そしてその結果、自由が達成されるのである。
「いままでの<自己>では対応できなかったときに、意識は新たな、より包括的な<自己>のかたちへと移行することになる。( 西〔1995:94〕)」
「つまり、<自己同一性→それを脅かす他なるもの→より包括的な自己同一性>という歩みを「意識」はたどるのである。」( 西〔1995:94〕)
ヘーゲルはこの意識経験の歩みを、<自己>の確立において重要と考えた。
「絶対的な私」の意識をもちながら、同時に共同体と自分が深くつながっている事を自覚する、というこの個人と共同体との関係を、社会制度のなかで生きる我々の理想とした。
ここでヘーゲルは、自己意識が「絶対的な私」としての<自己>から、「共同体における私」としての自己の形成を説明するために、意識の種類をさらに大きく三つに区分している。
@意識----「“眼の前に存在する対象の「真理(真相)」は何か”を追求しよ
うとする意識。」( 西〔1995:100〕) これは自己意識の最初に登場する「欲望」という段階である。「欲望とは、具体的には、眼の前にあるものを食うというような動物的態度のことである。これはまだ明確な<自己>の意識さえもたず、ただ自然界から食物を探して食うだけの最も原初的な意識の形態である。しかし、他から脅かされない確実な自己同一性の実現こそ、「自由」を意味する。」(
西〔1995:107〕)
この「欲望」の意識は、自らが対象(自然)に関わりかけるだけの行為であり、自らの意識のみが一方的に働きかける意識である。
A自己意識----前述の自己意識の「絶対的な私」としての自己意識。「「排他
的なこの私」を<自己>と見なす態度。」( 西〔1995:100〕)「私としての私」という、純粋な自己意識の出現である。対象(自然)に向けた「欲望」という一方的な意識を<自己>の意識として認める。「この私」のみが<自己>であり、「共同体に対する信頼が消失し、世界(共同体)とは疎遠なものとして対立することになる。」(
西〔1995:102〕)
しかし、共同体のなかで生きる我々は、「私」の承認だけの自己意識では満足できない。「この私」を認めてくれる他者、対象(他人)の承認がなければ、自分自身のなかで真に<自己>を確立できない。
B理性----「絶対的な私」の意識を持ちながら、共同体、他者とのつながりを
求めようとする意識。「自己意識の一種であるが、「私にとって」だけでなく「みんなにとってどうなのか」を考える。「みんなの納得しうる合理性」を要求し、そのことによって、自然・他者・社会のなかに<自己>を見出そうとする。」(
西〔1995:100〕)「この私」だけでなく「他者にとっての私」を求めるようになるのである。これが前述した「物や他人や世界を認識している意識」であり、常に「他なるもの」に向かって開かれている意識である。「意識はつねに自己意識である」という考えの自己意識の誕生である。
この三つの「意識」@ 欲望 A「この私」のみが<自己>である排他的な自己意識 B 合理性を求め、常に対象に向かって開かれている「みんなにとっての私」の自己意識、から、<理性>が生まれるまでの過程を具体的にみてみたいと思う。
ヘーゲルはまず、「欲望」の態度を、自由を実現するための最も原初的な営みであると考えた。しかし「欲望」とは自分だけが対象に依存することで、欲望の態度だけでは永遠に<自己>は肯定されない。「対象の方から自発的に自分を肯定してくれるのでなければ、真の満足、真の自由は得られない」(
西〔1995:106〕)ことに気付く。
「自己を肯定」してくれる対象とは、自然ではなく、主に他の自己意識(他者)である。「しかし、自己意識どうしはすぐに相手を認めたりはしないために、自分を認めさせようとする「闘争」が始まるのである。」(
西〔1995:108〕)
「自分こそ「自立」しているという(主観的)確信を、(客観的)真理として確証するために、互いの自己意識は闘争する。」(
西〔1995:108〕)
「自然な欲望からどれくらい距離をとれているか、<自立した自己>をどれほど強く確信しているか、ということが勝敗を決定することになる。」( 西〔1995:109〕)この<自立した自己>はAの「絶対的な私」としての自己意識の段階で形成される。他者の承認をもとめる以前に、自分自身が「この私」を<自己>として認める、この段階を強く確信するが重要となってくる。
「私」の関わる世界が広がることによって、「私」の「欲望」の対象が拡大する。対象が増え、大きくなればなるほど、「欲望」は容易に受け入れられなくなる。「私」は満たされない「欲望」に悩みはじめる。この状態が「自分という存在」の意識を目覚めさせる。そして欲望をコントロールする<自立した自己>を自分のなかに作り出していくのである。ここに真に自立的な自己意識への発達の道が開ける。
そして「私」は、この<自立した自己>を、確固たるもの、確実なものとするために対象(他人)の承認を求めようとする。
最終的な自己意識の定義は《「他なるもの」に関わりつつ「自分はじぶんである」という自己の確かさを得ようとすること》であった。
ヘーゲルは「人間の自立性は、他人との関係を通じてしか達成できない」
( 西〔1995:109〕)、という。
「自己意識の<相互承認>関係こそ自己意識の目標だ、というヘーゲルの考え方は、安定した自立性によってしか得られない、という意味もある。」( 西〔1995:110〕)
そして<相互承認>を得ようとすることで、他者の存在、社会の存在を知る。
「自己意識は、他人と異なる<自己>だけではなく、他のもろもろの自己意識のあることを承認する。と同時に、他人によって「私」の<自己>もそう承認されることに気付く。」( 西〔1995:P120〕)
<自立した自己>の承認を得るために、他者を否定し、闘争という関係を持ったが、その一方で他者と「共同の自分」を発見する。
ヘーゲルは、これらの発見のためには「服従」の経験が重要だ、としている。
「社会制度のなかで生きるための普遍的な<自己>としての<理性>に至るためには「服従」ということが必須の段階である。」( 西〔1995:118〕)
「人類は、ある絶対的な権力なり絶対的な宗教権威なりに服従させられる、という経験によって同じ共同体の成員として互いを承認することを学び、共同体における共通のルールの必要を学ぶ。その後はじめてルールを「民主化」することも可能になる。」( 西〔1995:118〕)
同じ立場、同じ状況、同じ集団に属するということは、そこで「私と他人は等しい」ものとなり、無関係な存在でも、否定するものでも、対立するものでもなくなる。
自己意識は、以前は他者と闘争したり、「この私」の優位を得ようとしたりしたけれど、いま、他人も私も同じ本質をもつことを知る。意識は「私の個別性」を否定し、互いを「そういうもの」として「認め合う」ことを学ぶのである。
このような平等な<相互承認>の成立は、個人のなかに「みんなにとって」という新たな視点をつくりだすことになる。「みんなにとって正しいこと、みんなにとって真実であること」という新たな視点を意識は獲得し、それを求めることになる。
「服従の経験によってはじめて、「この私」ではない、みんなと同じ資格をもつものとしての、普遍的な<自己>という新たな自己意識のレベルが成立するのだ。」( 西〔1995:120〕) これまでの自己意識は、<自己>の自立性と確実性を自分の中に求めるものであったが、この自己意識は、その<自己>を他者に求め、さらに、他者の<自己>を受け入れようとする。「みんなの納得しうる合理的なもの」を自己の世界のなかに見出そうとし、また実現しようとする自己意識である。
今、「理性は外側の世界を「否定」しようとはせず、むしろ世界のなかに歩みだしてその中に<自己>を求めようとしている。」(
西〔1995:121〕)
「これまでの自己意識は、他者と闘争して自分を認めさせようとしたり、自
分のなかに理想をつくって自分を支えようとしたり、他人の考えをとことん否定することで上位に立とうとしてきた。つまり、他者や現実に否定のエネルギーをぶつけることで、<自己>を救おうとしてきたのだ。外側に対する否定を通じて<自己>を確立しようとするのが、いままでの、いわば「青年期」的な「排他的なこの私」を<自己>とみなす自己意識だった。」(
西〔1995:120,121〕)
ここでヘーゲルは、<理性>をもった<自己>の歩みを三つに分けている。
@自然の世界を観察して自己を見出そうとする「観察する理性」
A社会的な世界(社会秩序)のなかに自己の信ずる理性的秩序を実現しようと する「行為する理性」
B社会的秩序のなかに自己を見出している「社会のなかの理性」
( 西〔1995:121〕)
「観察する理性」とは、「自然や人間を観察してそこに<自己>を見出そうとする衝動である」( 西〔1995:122〕)
「自然を理解して、そこに満足を覚えようとする営み」であり、「それは、自然を感覚的なものから思考の産物へとつくりかえようとする、きわめて能動的な営みである。」( 西〔1995:121〕)
このことをヘーゲルは、自然のなかに<自己>を見出そうとする思考、と言っている。
「自然認識は思考の働きがあってはじめて成立するもの」( 西〔1995:124〕)であるが、「観察する理性」は、その対象を理解した、ということにすぎず、それに対する自己の働き、自己の形成には到達していない。その意味で「観察する理性はまだまだ不充分な、未完成な理性にすぎない」( 西〔1995:124〕)ということになる。
「ヘーゲルは続いて「行為する理性」を登場させる。」( 西 〔1995:125〕)
「行為する理性」とは、「彼がそこに<自己>=自分が目的や理性とするもの
=を実現しようとする」( 西〔1995:125〕)理性である。
「ヘーゲルは、行為する理性を、理性的な「自己意識」とも呼んでいる。」
( 西〔1995:125〕)
「理想的」自己意識が求めるのは、個人的な理想ではなく、社会的な理想、つまり「みんなにとっての理想」を追求した普遍的な<自己>なのである。
「個人は自分の行為を通じて、公共的なものとしての善を現実化している。」
( 西〔1995:132〕)そしてさらに、「個人に与えられている天賦の才能や能力も、個人の行為によってはじめて現実化される。(略)個人の行為全体こそが善を実現する当のものであって、「世間」とはこのような個人の行為の行われる場所である」(
西〔1995:132〕)
ヘーゲルはこの人間の「行為」について具体的に述べている。
「行為とは自分の内的なものをそとに表して客観化すること。行為の結果としてつくりだされた客観物をヘーゲルは「作品」という。作品のなかに個人は<自己>を認めることができるだろう。」(
西〔1995:135〕)
「行為の意義は自分の素質を発揮することにある。誰もがその人なりの生まれつきの素質・才能・個性をもっている。可能性の闇に眠る潜在的能力を顕在化すること以外に行為の意義は存在しない、とヘーゲルは考えている。」(
西〔1995:135〕)
「行為には目的・手段・行為そのもの・結果というような諸契機があるけれど、それらはすべて、自分のなかの内なる自然によっておのずと決定されるだろう。何かに関心を持ち、やりたくなる・・・「目的」を抱くのも、自分のなかの自然(素質)が働いたからだ。目的を達成するための「手段」も、才能や力という自然である。それらを働かせて生み出した「結果(作品)」は、自分の内的自然が外的な姿をとったものにほかならない。」(
西〔1995:135〕)
このようなことからヘーゲルは、個人の「行為」には独特の意義がある、と考える。
「ひとつには、行為が個別性と普遍性を総合するものである、ということ。行為は「私の」行為だからエゴイスティックま動機をもつけれど、同時に普遍的・公共的な意義をもつもの(善なるもの)を生み出すのである。もうひとつは、行為が主観と客観を総合するものだ、ということ。行為は、個人のなかに眠っている潜在的な素質や能力を、現実化し「客観」化するからだ。」( 西〔1995:134〕)
「個人は次第にこのような行為の意義を自覚していく。」( 西〔1995:134〕)この自覚が深まったとき、個人は社会秩序のなかに自己を見出すのである。これが「社会のなかの理性」である。つまり「主観と客観の一致、個別性と普遍性の一致が実現され、理性はここに完成をみることになる。」( 西〔1995:134〕)
「人間は最初は、「この私」だけを<自己>と考えている。だから闘争もするし、支配・被支配の関係をつくりだしもする。(略)そういう経験を通じて、人間は自分と他人が同じ平等な人間であることを学び、それと同時に「この私にとって」だけでなく、「みんなにとって」という視点を獲得して<理性>となっていく。」
( 西〔1995:106〕)
「<理性>は「自分自身が納得すること」を求める強い自我意識から始まる。 理性が「自分にとって」だけでなく「みんなにとっての普遍性」を考慮する態度へと成長していくことを、ヘーゲルは主張してきたのだ。」( 西〔1995:190〕)
「世界を「よそよそしいもの」から「自分たちの納得できるもの」に変えていくことによって、世界のなかに<自己>を見出そうとする。」(
西〔1995:121〕)それが理性である。
この<理性>をもつことで人類の精神は自由と共同性を達成する方向へと進んでいくはずだ、とヘーゲルは考えていた。それは、個々人が互いを平等なものとして認め合い、社会の秩序(ルール)が合理的なものとなって、人々がそれを「自分のもの」として納得して受け入れるような社会への方向である。
「明確な「私」の意識が析出されて、それが次第に絶対性を獲得していく。その結果、「私」は絶対的な機能を持つものになって、自分のなかで善悪を自由に判断する力を持つことになる。しかし「私」は、自分の判断を他者に向かって開かねばならないことを、最終的に認めることになるだろう。なぜなら、自分のなかに「共同的であろうとする意志」が存在することを確認することになるからだ。個人は絶対的な機能を持つけれど、それにも関わらず、自分のなかに「共同的であろうとする意志」が存在することに気付く。だからこそ、自分の判断が誤りうることを認め、他人に向かって自分の判断を開こうとする。ヘーゲルは最終的に、このようなかたちで人間のモラル(の根拠)を説いた。最終的には「人格」や「市民」という普遍的なものを<自己>として認めるようになっていく。」( 西〔1995:80〕)
「絶対的な私」は「私」の意識だけでつくりだされたもの。それを真に満足できるもの、真に確実なものに確立するために、「私」は自分以外の対象、他者による承認を求めようとする。外に向けられた意識によって「自分とは異なる対象」の存在に気付く。そして、その対象を観察し、行為することでそのなかに<自己>を見出そうとする。さらに、主観と客観の一致により、新たな<自己>、共同的、社会的な<自己>を実現する。社会のなかで生きるための普遍的な<自己>が形成される。ここに理性が存在するのである。
私は、このヘーゲルの「自己意識の変化」、「理性への到達」までを、自己意識の芽生えの時期と考えられている青年期を中心に現代の私たちの視点から見てみたいと思う。
【第三章】先行研究
1.若者論
戦後七〇年代頃から、若者の態様は時代を映す鏡として注目され、その行動、思考スタイルなどが常に「社会現象」として捉えられてきた。そして今日までに、様々な論者が様々な視点から様々に若者を描いてきた。
それまで「青年」と呼ばれていた世代が「若者」と呼ばれるようになったのも、高度経済成長の豊かさが定着した七〇年代のことである。経済力の向上により、生産社会から消費社会へと移り変わっていった時代である。そんな社会において、最も活動的で最も自由で、金銭的にも時間的にも空間的にも余裕のある世代、「若者」(主に大学生)が消費の対象の的となっていった。彼らが社会にとって重要な主体的存在となっていったのは、「若者」が変化した、というよりは、社会の変化が彼らをそうさせた、と言えよう。
さらに80年代以降始まった、高度情報化社会。情報の量・質ともに多様化し、細分化していくことで、誰でも、広範囲に、比較的容易に、情報を手に入れることが可能となった。そして、これらの「新メディア」を容易に使いこなし、すぐに順応できたのは「若者」世代であった。
つまり、彼らを今日の社会の「主人公」と成しえたのは、社会の富裕化、変動の加速化、を引き起こした大人の側にあるのである。
旧来の社会であれば、「若者」は「未熟者」と思われ、社会から疎外され、墜ちこぼれた存在として引け目を感じていた。何とかして実社会の流れに参加し、社会組織の中へ一定の位置づけをしようと努力し、もがき、失意し、社会に受け入れらるための自己作りに奔走している世代であった。しかし、今日では、社会の方から自分を求められ、「若者」である自分という存在が「社会」となり得ている。社会変化による青年期の存在権の主張と、高学歴社会がもたらした青年期の延長によって彼らは、「若者」でいることに居心地よくなっている。今日の社会が、社会の一員になるためのアイデンティティの確立、「自己意識」の明白化に対して、焦燥し難くさせている。結果、”オトナ”になれない若者がつくられているのである。
若者論の中で論者たちは、その時代その時代で彼らの特徴をとらえ、名称を付けている。
それらは、断片的ではなく、なんらかのつながりをもち、重なり合ったり、互いに影響し合いながら、社会の変化とともに変化していった。
社会の変化と「若者の変化」を、彼らの「自己意識」の在り方に注目しながらみていきたい。
2.モラトリアム人間
『モラトリアム人間の社会』の著者である小此木氏は「若者」を、「旧来のモラトリアム人間」とは異なる、今日の社会に適した「新たなモラトリアム人間」となって存在している、と考える。さらに、この若者特有であった「モラトリアム人間」は、他の世代にまで影響を及ぼし、今日の一つの社会的性格ともなっている、と考えている。
「モラトリアムとは、青年が青年期に決着をつけて成人になるための準備期間である。このモラトリアムを終えた青年は、最終的には、職業選択、配偶者の選択、生き方などについて、オトナとしての自己選択を行い、既存社会・組織の中に一定の位置づけを得なければならない。」( 小此木〔1978:28〕)
「そもそも「モラトリアム」とは、支払猶予期間、つまり戦争、暴動、天災などの非常事態下で、国家が債務・債権の決算を一定期間延期、猶予し、これによって、金融恐慌による信用機関の崩壊を防止する措置のことである。アイデンティティ論で、わが国にも知られている米国の精神分析学者エリク・H・ニクソンは、この言葉を転用して、青年期を、「心理社会的モラトリアム」の年代と定義した。青年期は、修業、研修中の身の上であるから、社会の側が、社会的な責任や義務の決済を猶予する年代である、という意味である。」( 小此木〔1978:14〕)
「モラトリアムは、特有の禁欲主義を守ることを青年たちに強制していた。そして多くの青年は、この禁欲主義の中での欲望の昇華に苦悩したが、この昇華と禁欲が青年期特有の内面性と自我意識を深め、内面豊かな成熟した人格の形成をもたらす基本条件になっていた。」( 小此木〔1978:20〕)
つまり、「青年たちにとって古典的モラトリアムはその自我の成熟にきわめて有意義であったが、その反面、さまざまな禁欲を強いられ、多くのフラストレーションに悩まされる半人前の状態であった。青年たちが不本意ながら、その状態に甘んじていたのは、そうしていなければならない現実原則=社会秩序があったからである。この社会秩序に従って、やがて一人前になるためには、禁欲・フラストレーションを堪え忍び、修行を積まなければならない。つまり、モラトリアムは、青年にとって一刻も早く抜け出したい拘束であり、制限であった。」( 小此木〔1978:20〕)
「旧来の社会秩序の中では、このモラトリアムは、一定の年齢に達すると終結するのが当然のきまりであった。」( 小此木〔1978:17〕)
「猶予は失われ、社会的な責任が問われ、義務の決済が迫られる。つまり、「心理社会的モラトリアム」は、「自己定義=自己選択=アイデンティティ」と一対をなす概念であり、旧来の社会秩序に根をおろした確固たるオトナ社会の存在を前提としてはじめて、本来の目的を達成することができる。」( 小此木〔1978:17〕)
「青年期にフルタイムの社会的役割に就くことを免除された若者たちが、どの役割が自らにふさわしいのかを試す「役割実験」期間。また、試行錯誤の過程の中で、これまでに獲得されてきた断片的な同一視を再構成して、いわば自我の組みかえを行う時期である。」( 小谷〔1993:55〕)
ところが、役割猶予期間からの卒業、最終的な役割の決着、自我の組みかえのふんぎりのつかぬ青年たちが増え始めたのである。
その要因は、「豊かな社会では、心理的・社会的には、まだモラトリアム状態にありながら、物質的満足や消費の面では、むしろ満足感の高い生活を楽しむことのできる青年たちが、社会の中で大きな勢力を占めるようになった。」( 小此木〔1978:17〕)という若者文化の存在権の出現である。
そしてもう一つ、高学歴社会、豊かな社会における中産階級意識の一般化、加速度化した社会変化によって、モラトリアム期間中に継承されるべき技術・知識の高度化、である。
つまり、青年期=モラトリアム時代の居心地の良さと、習得期間の長期化が、「若者」をモラトリアムの終結から遠ざけているのである。
「この二つの動向による「現代社会における青年期の位置づけの変化は、「古典的なモラトリアム心理」に急速な変容をもたらし、モラトリアム心理そのものの”質”を決定的に変えてしまった。」( 小此木〔1978:21〕)
「本来は、現代の青年心理の特性として、その認識が得られた「モラトリアム人間」が、今や現代人の心性全般を規定する「社会的性格」になろうとしているのである。」( 小此木〔1978:13〕)
今日の社会は、「モラトリアム人間」=「若者」を、以前の青年期特有のオトナ社会への準備猶予期間をさまよう若者のそれと明らかに別の様相へと変えていった。大衆化し、長期化し、新たな特質をもち得た「新たなモラトリアム人間」は社会的性格となっていったのである。
「社会変容の急速さゆえに、私たちは常に変化を予期し、それに順応する心理を身につけなければならない。」(
小此木〔1978:14〕)
「いつの間にか身につくのは、積極的な自己主張を控え、自己選択・自己限定を先へ先へと延ばして、常に待機の姿勢をとるモラトリアム心理である。」(
小此木〔1978:41〕) 自らの帰属を明確にしようせず、「どんな社会的局面でも、当事者意識がなかったり、当事者になることを嫌い、それぞれの場所で、できるだけお客様的存在でいることを望む心理傾向」(
小此木〔1978:9〕)をもつ人間が増加し、「あまり自分の意見や主張に固執せず、よく人の話を聞く、ものわかりよく優しく柔らかな存在」(
小此木〔1978:10〕)としての民主的人間のイメージが創り出されたのだ。
「自分のおかれている社会的現実には心的な距離=隔たりがあり、そこには主体的にかかわっていないし、かかわるほどの積極的な力も関心も乏しい。実社会の流れに能動的にかかわらないだけに、長期的な見通しを欠き、その時その時の一時的・暫定的なかかわりを優先する。世の中の出来事に当事者意識をもたぬお客さま的存在であり、生産者であるよりは消費者である。一貫したイデオロギーよりは、生活感覚や主観的心情を重んじる。権力や地位よりも、ヒューマンな優しさを大切にする。つまりこれらの人々もまた、その社会的存在がもたらすモラトリアム的心理構造におかれるために、現代青年が享受する「新しいモラトリアム心理」と共通の心理傾向を身につけはじめているのである。」( 小此木〔1978:36〕)
「価値観が多様化し余暇・遊びが優位な価値づけを与えられる現代社会では、たとえ世の中で実権がなくても、余暇が得やすく、多様な価値観に気軽にかかわることのできる自由のきく立場の方がより望ましく、より優雅である、という生活感情が、次第に人々の心にしみこんでいる。競争社会が実社会であり、われわれの”現実”であるにもかかわらず、お互いの競争とお互いの攻撃を意識の中だけでは否定する平和主義が現代社会の支配的理念である。」( 小此木〔1978:37〕)
さらに小谷敏氏も『若者論を読む』の中で、「モラトリアム人間」の質的変化と、それが社会性格となっていることについて述べている。
「豊かな産業社会は、アイデンティティを未決のままにとどめ、モラトリアムを永続化させようとする若者たちを、言ってみれば「大人になりたくない」若者たちを大量に生み出していた。そして彼らの生き方は、モラトリアムから豊かな社会へと逆流して、社会や文化のあり方に影響を及ぼし」(
小谷〔1993:57〕)ていった。
そして「社会の全般的富裕化と、社会の変動の加速化の結果、「経験」より「若さ」に価値がおかれるようになったことが相まって、意識的・無意識的なモラトリアムの引き延ばしが図られ、大人たちを感化し、社会に対して当事者意識をもちえない、モラトリアム的な心性に侵されていったのである。」( 小谷〔1993:55〕)
小谷氏は、モラトリアム自身の変容のなかに、「モラトリアム人間」が日本社会の社会的性格となりえたことをみている。
「「古典的なモラトリアム心理」の、青年たちによって好都合な面はそのままに保存され、不都合な面は大幅に改善されたのが、「新しいモラトリアム心理」であり、この「新しいモラトリアム心理」を自分たちの生活感情や生き方にしているのが、今日の社会の「モラトリアム人間」」( 小此木〔1978:37〕)なのである。
「古典的モラトリアム」意識が薄れ、変化し、”オトナ”になることを強く迫られない今日の若者は、いつ、どうのようにして「自己意識」を確立し「自己定義」を行っているのだろうか。
3.プロテウス人間
小此木氏は、この「モラトリアム人間」が社会的性格となっている今日の社会において、アイデンティティを確立している人間の一種として「プロテウス人間」をあげている。
プロテウス人間とは、「「モラトリアム人間」であることを自己のアイデンティティとし、次から次へと自分をいろいろな生き方、考え方に同一化させて変身を遂げ、その過程で自己を実現してゆく自己実現型人間」( 小此木〔1978:55〕)のことである。
「この自己実現型のモラトリアム人間、「プロテウス的人間」とは、米国の精神科医ロバート・J・リフトンが1950年代に命名した現代社会の新しい人間のスタイルのことで、あくまでも自分を一時的・暫定的な存在とみなし、次々に新しい仕事、職種、役割に同一化して変身を遂げていく、プロテウス(変幻自在な神)のような人間」( 小此木〔1978:53〕)のこと。
「旧来の価値観からみれば本当の自分がなく、いつも、何か、その時その時の生き方、考え方、人間像に同一化して、あたかも民主主義者であるかのように振舞い、その人間の核心は、そのどれでもない。旧来であれば、このタイプの人間は、「永遠の青年」「いつになっても社会的にオトナにならない、観念的で、無責任な人間」として非難されたであろう。」( 小此木 〔1978:54〕)
しかし小此木氏は、「今やこのプロテウス的人間が現代の適者になろうとしている」( 小此木〔1978:55〕)、と考える。
プロテウス的人間は、アイデンティティの拡散、アイデンティティの未解決を、むしろ積極的に肯定し、暫定的・一時的な社会的存在であること自体を新しいアイデンティティとして自己を実現してゆく人間である。
多様な価値観、過剰な情報、急激な変化の社会の中で生きるには、一個の<自己>を模索することよりも、「そのたびそのたびに新しい自分の生き方、価値観、社会的役割を身につけ、自己を変身させる」(
小此木〔1978:55〕)ことのほうが優れている、と守弘氏は考える。
そして小此木氏は、アイデンティティを未決のままにとどめることは、変転きわまりない現代社会を生き抜くための、すぐれて機能的なパターンであるという認識を、「プロテウス人間」論で打ち出した。
しかし「プロテウスたるためには、いくつかの局面で十分にこの自己を実現することのできる並外れた能力が必要である。」( 小此木〔1978:55〕)
「表面的には多様な自分を使いこなしているようにみえても、結局は自我=役割の拡散状態に陥るおそれがある」(
小此木〔1978:55〕)のである。
今日の社会に適したように思われた「プロテウス人間」は、「カプセル人間」をつくりだしていく。
4.カプセル人間
カプセル人間とは、「各種情報機器を備えた「個室」のなかで、その主の「自我の殻」によって外にでなくても情報行動を完結的に行うことができる人間のことである。」( 小谷〔1993:145〕)
「多様化した価値観、過剰な情報の中から、自らの受け入れやすい情報のみをとり入れるこの「カプセル」は、外界とを区別する壁になっているのみでなく、情報の処理において(1)外界からの明確な境界を形づくるバリアー、(2)フィルターの二つの機能を持っている。単に情報を受け取るのみでなく、カプセル自身が情報を発信する機能も持っている。」( 小谷〔1993:147〕)
つまり、この「カプセル人間」が登場する原因となったのは、”メディアの発達”である。
八〇年代において若者文化は映像メディアとの接点を急速に深めていった。
高度情報化社会となっていく中で、「新メディア」にすぐに対応できたのは若者世代であり、かつ、これら「新しいもの」に強く興味を示したのも彼らであった。よって生産者は「新メディア」を、「若者」を対象の中心として開発し、そしてこれに若者が飛びつく。こうして、消費社会においける彼らの存在が重要化していったのである。
「八〇年代に入るとテクノロジーの発達にともなって音楽メディアが急速に進歩し、新しい傾向として映像メディアへの若者の傾斜がはじまった。これまでの映像メディアは「家庭全体におけるテレビ視聴」が想定され、若者と特に深く結びつくものではなかった。だがこの時代に入って若者の利用するメディアは音楽メディアのみではなくなってきた。この第一の背景はビデオデッキの普及である。ビデオ機は個人が自分の好みの内容を好みの時間に視聴できるという性格をもち、個人的な視聴を促進するものであった。だが、それ以上に若者の間に「映像」メディアへの傾斜を強めさせたのは、やはりコンピューターの大幅な普及であろう。」(
守弘〔1993:143,144〕)
「八〇年代には自分の情報目的に応じてメディアを使いこなせる若者や、自分の好みの情報のみを集中的に収集するという「おたく」の登場が指摘されるようになるが、「カプセル人間論」はこれらの新しい若者の情報に対する心性や行動をその延長線上に説明することができる最初の若者論だったのである。」( 守弘〔1993:148〕)
さらには「「カプセル人間」論はメディアと若者とを関連づけたものとして、八〇年代の情報新人類論の分析への土台になった」( 守弘〔1993:149〕)と述べている。
5.新人類
「一部の若者がそれらの情報機器を自由自在に扱えば彼らを「将来社会に対応した人間」として評価した。だが同時に、一般の大人は、自分たちとは接点のない、あるいは自分とは違う「異」な存在でもあった。
情報機器技術の発達が将来の幸福を生むという単純なテクノロジー信仰が力を得ていた一九八〇年代という時代背景は、「異」と感じる存在、という後者のマイナスイメージよりは前者の「未来の有望者」というプラスイメージの方を強く人々に印象づけたのである。」(
守弘〔1993:150,151〕)
「異」人類は社会の既成システムの中に組み込まれた結果、現在の人類とは明らかに異なっている、と言う前提から「新」人類と命名された。
「「情報新人類」は「理解はできないけれども将来性がある」若者だったのである。」( 守弘〔1993:151〕) このようななかで八〇年代の「若者」と「情報」・「メディア」の関係は、社会にとって有益なもの、としてもてはやされることになる。
「新人類の特長は、メディア駆使能力であった。コンピューターをベースにしたメディア機器が出現、急激に普及しはじめた八〇年代前半、これを苦もなく活用する最初の世代という位置づけが新人類に与えられた。」( 守弘〔1993:210〕)
「論者たちは彼らの新しい能力=社会への貢献性を評価し、八〇年代の若者世代に対する議論はまさに「新人類論」を中心に展開していた。」(
守弘〔1993:209〕)
これは、「それまでの”立ち遅れた存在””未熟な存在”であった若者が、マーケティングのターゲットとなり、”最先端の存在”として注目を浴びるにいたった」(
守弘〔1993:156〕)大きな要因でもあった。
「このように一部の若者論は情報利用に長けた、社会に貢献する「バラ色の若者像」を描いた。」( 守弘〔1993:157〕)
「新人類は、自らに忠実で、楽しくないことには興味を寄せないが、関心をもったもの、「感性」にかなったものに対しては、さまざまなメディアを駆使して高感度に情報を収集・利用していく「主体性」を備えた存在。きわめて自己=プライベートに忠実な」( 守弘〔1993:213〕)人間であった。
「しかし、新人類の高感度、相対化的スタイルとは正反対のベクトルを示す出来事が頻発することになる。」( 守弘〔1993:124〕)
「九〇年代に入ると、新人類論は次第に下火になりはじめた。」
( 守弘〔1993:214〕)
それは「おたく」の出現であった。
6.おたく
「過剰な情報」や「情報の氾濫」という言葉が聞かれるようになった八〇年代後半から九〇年代初期にかけて、「メディアへの高度の依存は、離人症などの精神的な症状を引き起こす、という否定的な見解が生まれた。」( 守弘〔1993:160〕)
これが「おたく」と呼ばれる若者のはじまりである。
「確かに、「おたく」の特徴をとらえていくと、まずそこにはテレビ、ビデオ、コンピュータなどのメディアにかかわる側面が強い。もちろん「おたく」の集中する対象は「メディア」自体ではないこともある。が、その多くの場合は「メディア」を通じて対象への「情報」を得るためメディアに関わっているものが多い。これらの「メディア」に関わっている点から、それに相対して生身の人間とのコミュニケーションなどの付き合いが時間的に、あるいは主観的に重きを置かれなくなるということであろう。そして、機械、あるいはメディアに接しているときの方が人間を相手にするよりも主観的にたやすいというような心性が生まれる。」( 守弘〔1993:160〕)
「メディアを媒介としたコミュニケーションは、人間関係につきまとう煩わしさがなく、生身の人間関係に比べればかなり「予測可能な」側面がある。」
( 守弘〔1993:161〕)
「メディアや機械との関係のなかでは、自分自身は操作の主体であり、状況や環境が自分の思いのままに変えられるという、いわば自分自身が世界を支配するような主体的な充実感を体験することができる。」(
守弘〔1993:161〕)
「このような経過から人間的な付き合いを避けて、自分の言いなりになる「メディア」に依存する若者があらわれてくることはありうる。」( 守弘〔1993:161〕)
平和主義、他者依存、協調性重視、自己抑制的なモラトリアム人間の世界では「自己が主体的」になる感覚は得にくい。
「八〇年代の「情報新人類」論では、「情報新人類」=若者を肯定的に扱う見解がある一方で、特に後年、メディアやコンピューターが若者のなかに精神病理的現象を植え付ける傾向が指摘されてきた。その意味では八〇年代における「若者」と「情報・メディア」との関係を位置づけるなら、特に前半に脚光を浴びた「情報新人類」における若者への積極的評価が、「おたく」現象によってさげすめられた」( 守弘 〔1993:164〕)、といえよう。
「おたく」の特徴として、大澤真幸氏は、第一に彼らの無意味なものに対する熱狂的没頭という価値基準の逆転、第二にその対象の自己同一化、としている。
「第一は、おたくとは、アニメーション、ビデオ、SF、テレビゲーム、コンピュータ、アイドル歌手、鉄道などのいずれかに、ほとんど熱狂的と言っていいほどに没頭する人たちである。おたくが一般の人を驚かすのは、この熱狂である。もう少し厳密にいえば、彼らの知識を彩る、意味的な稀薄さと情報的な濃密さの交錯である。おたくの行為や知識は、支配的な社会規範から判断すれば、いかなる有効な意味ももたない。それらは、何にも役に立たないし、また「高尚な芸術」のようにそれ自身として価値あるものとして遇されているわけでもない。ところが、それにもかかわらず、彼らの知識は、対象となっている領域のごくごく些細な部分にまで及んでいる。」 ( 大澤〔1992:212〕)
「おたく」であるということは、特別な対象に常人を越えた興味をもっているということだけではない。おたくは、コミュニケーション的な現象なのだ。おたくは、興味の対象となった事物との関係において以上に、他者との社会的な関係の内にその固有性を示すのである。「おたく」という名も、彼らが切り結ぶ社会関係の特質に由来している。」(
大澤〔1992:213〕)
大澤氏は、おたくの自己同一性(セルフアイデンティティ)の仕組みに注目し、おたくは、日常現実の中で見出せにくくなったアイデンティティを、「現実」から分離したもうひとつの幻想的な世界を「現実」とすることでアイデンティティを生み出している、としている。
アメリカの精神分析学者のエリク・エリクソンは、「アイデンティティとは、「同一性」「自分であること」「自己の存在証明」「真の自分」「主体性」「自分固有の生き方や価値観」などと訳されるが、自分(セルフ)意識の連続性と不変性である。」(
小此木〔1978:86〕)としている。
「自己同一性とは、「私」が何者であるかということが、「私」自身によって決定されるということで、それは、「私」が従うべき規範が「私」自身によって決定されている、ということである。」( 大澤〔1992:218〕)
「「おたく」が、「虚構と現実を混同している」という批判を浴びせられるのは、このような逆転(幻想の現実化)が実現されているからなのである
さらに、単純なコレクターやマニアとおたくとの相違としてよく指摘される、おたくの欲求の対象であるが、彼らは、欲求を対象そのものに向けているだけではなく、その対象がおかれた一個のまとまった世界の獲得へと向けている。」
( 大澤〔1992:234〕)
「切手収集家とテレビゲームおたくの相違は、後者は、ディスプレー上の空間を、外部から遮断した自律的な世界として享受し、そこに内在している、ということだ。切手のコレクターは、このような「現実」から分離したもう一つの現実をもたない。」 ( 大澤〔1992:240〕)
「おたくが志向する対象が、空間的・時間的な世界性を帯びることの理由は、おたくたちは、二元的な先向的投射によって、現実の外部に、もう一つの現実を構築せざるをえないからである。それは、狭義の「現実」からは独立しているがゆえに、つまり通常の非現実(幻想)の領域を舞台にしているがゆえに、それ自身として固有に閉鎖されていなくてはならない。つまり、完結した世界として成立していなくてはならない。」( 大澤〔1992:246〕)
「おたく」は、「本来、非現実とされていたような領域(幻想の領域)を、まさしく一個の現実として現象する。」( 大澤〔1992:233〕)
「おたく」は、自らがつくりだしたこの幻想的な世界、もう一つの完結した世界のなかで<自己>を実現しているのである。
【第四章】総論
若者が社会に対して主体性をもつようになった八〇年代から今日にかけての「若者論」をみてきた。
それらは、断片的、交代的に現れたものではなく、前者の一部がなんらかの影響を受け、なんらかの変化をして生まれていった、と考える。つまり、旧来の社会の中にモラトリアム人間があらわれ、その一部からプロテウス人間がうまれ、プロテウス人間の一部がカプセル人間となり、カプセル人間の一部が新人類としてもてはやされ、さらに、彼らの一部が「おたく」と呼ばれるようになった。だから、それらは互いに無関係ではなく、多くの共通点をもち、それらの境界も曖昧である。この若者論の流れは、たとえ微量で些細なことであっても、その時の社会において「異」的存在、「特別な」「新しい」人間として映った「若者」を知ることが、その時の社会を知ることにつながったのである。
私はここで、今日の若者の<自己>の形成と「自己意識」の確立について考えてみたい。
前述したヘーゲルの自己意識の在り方からみると、自己意識はまず「欲望」に始まる。この時の対象は主に「自然」であり、この時の意識は無意識的なものが多い。幼児期の「欲求」の中心である「食欲」「排泄欲」などはほとんど満たされる。それは一つに、彼の世界(対象)の狭さと、「母親」という自らを守り、助けてくれる存在があったからである。
しかし彼が成長するに連れて彼の世界が広がり、「欲望」を抱く対象も自然だけでなく、さまざまなものになっていく。が、以前のように全ての欲求が満たされ、またその手助けをしてくれる存在が常にいるとは限らない。彼は満たされない「欲望」をかかえることになる。世界の範囲は拡張するが、まだ「他者」「自分以外の対象」に対する意識が弱いため、「私」の意識だけが膨張する。この時、<自己>を見つめる意識が目覚め、<自己>による「自己決定」がなされるのである。他者を介さない「排他的な私」「絶対的な私」がつくられる。これが「自己同一」であり、「私」による「私の決定」、つまり<自己>形成」につながる。
ここで形成された<自己>はあくまで「私」による「私だけが認めた」自己である。そのため彼の世界が広がれば広がるほど、自己満足の<自己>では者足りず、また、この<自己>が受け入れられないことに苦しむ。この時初めて「他者」の存在を意識する。そして彼は、<自己>を確実なものにしたいために、他者の承認を求める。と同時に、自分以外の自己、「他者の自己」が存在することに気付く。「私の自己」以外の「他者の自己」の存在を認めることで、争うことをやめ、「みんなにとっての私」「みんなにとっての自己」をつくりだそうとする。共同体のなかで生きるための新たな<自己>を確立していくのである。この自己意識が、ヘーゲルのいう<理性>につながる。
私は、今日の”オトナ”になれない若者の存在は、彼らには<理性>が欠けているからではなく、<理性>を求める以前の自己、「私による私」としての自己が不明瞭であり、<自己>の形成が未解決であるからではないか、と考える。
この「私による私」は、受験という競争社会、画一的な価値観の植え込み、均質化した人間育成の時期である高校までの教育環境の場から脱出した、「大学生」という時期に形成される、と考える。
大学という場も教育の場ではあるが、ここは、それまでの半強制的な教育ではなく、自発的な、自主性を重視する教育の場である。そしてまた、高学歴社会、経済成長による中産階級の一般化などから、今日の大学生は、他のどの世代よりも自由で、金銭的、空間的、にも恵まれている。そして何より彼らの存在は「特別」ではなく一般化している。
この大学生という時期が、今日のモラトリアムの時期である、と考える。
社会の一員となる一歩手前として存在している彼らは、いわゆる青年が成人になるための準備期間を過ごしている。時間的・金銭的・空間的なゆとりから比較的容易に<自己>を形成できる、と思われる。
「モラトリアムを終えた青年は、最終的には、職業選択、配偶者の選択、生き方などについて、オトナとしての自己選択を行い、既存社会・組織の中に一定の位置づけを得なければならない。(
小此木〔1978:P17〕)」
しかし、このモラトリアムをなかなか終結できずにいる若者が増えている。いつまでも曖昧な<自己>、他者依存の強い、協調性のみに優れた<自己>しかもてない若者が増えている。
しかし、今日の社会がモラトリアム社会であるならば、モラトリアムを無理にを終結しなくてもいいのではないか。まして、社会的性格、多数派の人間の状態であるならば、そのまま(モラトリアム人間)でいても”オトナ”社会に容易に参入でき、そのままの状態でいることの方が社会の一員として適した人間となり得るのではないだろうか。
ここで私は、<自己>の不在、「自己意識」の未解決、であれば、自己拡散状態(「私」によって<自己>を形成し、ある一定のところにその自己を位置づけることによって確立されるアイデンティティ(=自己限定=社会的自己定義)ができていないために、「私はかくかくの人間である」と「私」を「私」によって限定することができない状態)になる可能性がある、ということに注目してみたい。
「絶対的な私」としての<自己>が存在していなくても、「若者」(=「大学生」)の時であれば「自己選択」「自己決定」の場から容易に回避できた。また、それらを強く迫られる機会も少なかった。
ところが、「大学生」でなくなれば、以前のように、容易に回避することはできない。強く「自己選択」「自己決定」を迫られても、「私」による<自己>が確立していないため、<自己>は動揺し、混乱し、「拡散」してしまう。
「自己の拡散」の結果、”オトナ”になれない「若者」が存在する、と考える。
そして、自己の実現、自己の確立が未解決のままであれば、社会的モラトリアム人間であろうとする自己の位置づけ、自己の決定ができない。つまり彼らはモラトリアム人間としていることすらできないのである。
「情報化社会」と叫ばれている今日の社会は、過剰な情報量のため、「選択」することをさらに困難とさせている。
「大衆へ向けた情報の解放は、必然的にそれを受容する受け手の側にも摂取スタイルや価値観の変化をもたらす。マスメディアの多様化は、あらゆる情報を価値づけなく等しい重要性で人々に伝達される。そして、均質化した情報を多量に受容することを余儀なくされた個人は、めくるめく情報の渦の中で“あれもこれも”という感覚にとりつかれ、選択基準を喪失する。(略)さらに、共同体の崩壊により、若者はもはや絶対的価値基準の喪失した状態におかれている。「情報の氾濫」により「価値の相対化」がおこり、結果、アイデンティティーを獲得できなくなってしまったのだ。」 ( 小谷〔1993:175,176〕)
私は、今日の「若者」が「この私」による<自己>の形成、「自己意識」を確立していくためは「おたく」的人間になることが一つの解決策ではないか、と考える。
「おたく」は、現実世界では得にくいアイデンティティを自ら「現実」から分離した独自の世界を創り出すことで確立し、社会変動に無関心なほどある対象に没頭することでアイデンティティを培っている。
過剰な情報化社会において「おたく」は、自分自身が興味・関心のあるものにしかアクセスしないため、情報の関わりにおいて比較的閉鎖的であり、範囲が限定され、かつ、内容は細部にまでわたっているため濃密である。氾濫した情報の中で「そこからしか世界が見られない若者」なのである。
この状態はある意味で、「過剰な情報」のなかから、「私」の「意識」によって、「私」に「有益と思われるもの」を「選択」している、ということではないだろうか。
そして彼らは、自らが選択した世界によってのみコミュニケーションをとる。つまり、彼自身による確固たる「価値基準」がつくられているのだ。
ここで私なりに「おたく」の定義をしてみたいと思う。
《「若者」が、「私」の意志によって「選択」したことに排他的に没頭しながら「絶対的な私」としての<自己>を形成している状態
》
しかし、「おたく」の特徴として、二次元的世界観、幻想的世界の創造、が問題となる。
彼は「虚構と現実の混同」「現実世界と幻想世界の逆転」を起こしているために、「異」と思われる行動をとったり、時には法的秩序に触れることをしてしまったりする、と考えられてる。
私は、これらの「おたく」の中でも特異と思われる現象は、「若者」でいることの長期滞在と、「自己意識」が起こる以前の「欲望」という時期に要因があるのではないか、と考える。
「社会」という組織に自己を参入させることになれば、自ずと「他者」を意識しなければならない状態になるだろう。つまり、「若者」でなくなれば「彼」は「現実」に直面し、「彼」がそれを理解しなくてはけないことは避けられない。さらなる「若者」の長期化が、「虚構と現実」の境界を一層希薄化させ、「逆転した世界」をますます深いものにしていく、と考える。
これらの一部の「おたく」の現象によって、人々の間に「おたく」に対するマイナスイメージを植え付けてしまったのだが、「排他的」に没頭する、という感覚は、本人以外、「おたく」以外の人間にはそう映ってしまうのかもしれない。
幻想的、二元的世界観を持つまでではないにしろ、「私」を「私」によって理解し創造できるような、時間、空間をもつこと、これが「おたく」になることに近いのではないか、と思う。「自己意識」を確立する一つの手段として「おたくになる」ということが優位、と考える。
「おたく」的人間になる、ということは今日の社会においても「異」的存在となることかもしれない。しかし、社会的拘束も少なく、比較的自由な「若者」(=「大学生」)の時期に「おたく」になるということは、他の世代に比べて容易なことだと思う。そうなることで<自己>形成が達成され、結果、社会における自己の位置決定が可能となり、自己の拡散も少なくなる、と思う。<理性>をもった”オトナ”として社会に存在していくためには、「若者」の時期に、確固たる<自己>、<自立した自己>としての「絶対的な自己」を確立することが重要である。「おたく」になることは、そのための有効な一つの方法である。
《論文構造設計表》
主要命題:現代社会において「自己意識」を確立するためには、「おたく」に なることが一つの手段である
問:「自己意識」はとは何か
答:「この私」を絶対的な<自己>と見なす態度。
問:それはどうすれば獲得できるのか
答:排他的に自己をみつめる
問:「自己意識」が確立されなければどうなるのか
答:<理性>が得られない
問:<理性>とはなにか
答:「みんなの納得しうる合理的なもの」を世界のなかに見出そうとし、また実現し ようとする自己意識
問:なぜ「絶対的な私」としての「自己意識」がなければ、<理性>を得られないのか
答:<理性>は、自立した自己どうしの相互承認を求める態度によっておこる。「私」 が「私」を理解し創造した確固たる<自己>が存在しなければ、相互承認を求めよ うとする意志は起こらない。そして「みんなの納得しうる合理的なもの」を実現 しようとする<自己>が生まれないから。
問:「自己意識」はいつおこるのか
答:「若者」(=大学生)の時期
問:なぜか
答:社会的拘束が少なく、<自己>を意識、形成するための時間、空間に比較的余裕が ある時期であるから
問:今日の社会において、若者のなかに「”オトナ”になれない若者」の存在指摘さ れるが、それはなぜか
答:<理性>に到達できない「若者」がいるから
問:「自己意識」を確立しやすい時期であるにもかかわらず、なぜ<理性>に到達でき ない「若者」が存在するのか
答:「若者」の長期化と、社会における「若者」の主体性の拡大、「若者」でいるこ との居心地のよさ、さらに旧来のような”オトナ”になることを強く要求する社 会が存在しないために、<自己>の一定の位置づけに激しく焦燥しなくなり、<自 己>形成の意識が薄れているため。
問:「若者」が「自己意識」を確立するにはどうすればいいのか
答:「おたく」になることが一つの方法、と考える
問:「おたく」とはなにか
答:自分の意志によって「選択」したことに排他的に没頭しながら「絶対的な私」と しての<自己>を形成している状態
問:なぜ「おたく」になることが「自己意識」の確立に有効なのか
答:「おたく」は、自分自身が興味・関心のあるものにしかアクセスしないため、外 部との関わりにおいて比較的閉鎖的であり、世界の範囲を自らで限定している。 「過剰な情報」のなかから「私」に「有益と思われるもの」を「私」の「意識」 によって「選択」している。彼自身による確固たる「価値基準」がつくられてい る。つまり、彼は、自ら独自の世界をつくることによって<自己>を理解し、その なかに<自己>
を見出し形成している、と考えるから。
=謝辞=
この論文を執筆するにあったて、鹿児島大学、法文学部、人文学科、現代メディア文化論の桜井芳生助教授のご助言をはじめ、同期生、先輩、後輩の皆様に、ゼミにおいて議論して頂き、御意見を頂けたこと、また、アンケートにご協力して頂いた方々に深く感謝いたします。
《参考文献》
・長谷川 宏 『新しいヘーゲル』 講談社現代親書
・Hegel Georg Welhelm Friedrich 1971 『OP
System des Wissenschaft.1 TI Phanomenlogin des Gei Stes.』
=『ヘーゲル全集5 精神の現象学(下巻)』金子 武蔵訳 岩波書店
・細谷 貞雄 1971 『若きヘーゲルの研究』 未来社
・小此木 啓吾 1978 『モラトリアム人間の社会』 中公叢書
・小谷 敏 1993 『若者論を読む』 世界思想社
・宮台 真司 1994 『制服少女たちの選択』 講談社
・宮台 真司 1997 『世紀末の作法 終ワリナキ日常ヲ生キル知恵』
メディアファクトリー
・宮台 真司 1997 『まぼろしの郊外 成熟社会を生きる若者たちの行方』
朝日新聞社
・成沢 大輔他 1989 『おたくの本』 別冊宝島
・西 研 1995 『ヘーゲル・大人のなりかた』 NHKブックス
・小原 秀雄・羽仁 進 1995 『ペット化する現代人』 日本放送出版協会
・岡田 斗司夫 1996 『オタク学入門』 太田出版
・宮代 真司他 1992 「ポップ・コミュニケーション全書」
『おたく論』 大澤 真幸 PARCO出版局
・佐々木 伸 1997 『フッ完全おたくマニュアル』 ワニブックス
・吉弘 幸介 1995 『マンガの現代史』 丸善ライブラリー
・(編)総務庁青少年対策本部 『情報化社会と青少年』 大蔵省印刷局
《 アンケート調査結果 》
<第一設問>
1「自分はあきらめの早い方だと思いますか」
2「あなたは自分だけが周りの人々と異なっていると気付いたとき、不安を感じます か」
1の質問は「物事に没頭する意識」をみている。あきらめが早い(YES)ならば、物事に対して自己を見出そうとしていない、つまり「確固たる自己を形成したいと思う意識がない」、と考える。
2の質問は「他者に対する意識」をみている。他者との差異に不安を感じる(YES)なら、排他的な自己になっていない、つまり「絶対的な私が存在しない」、と考える。
ここで、1あきらめが早いほど、2周囲に対して異なることに不安を感じる、という仮説が立てられる。
自分自身が「自己決定」を望んでいれば(自己を形成したいと思う意識があるならば)、彼は「私だけを見つめる私」の状態(外を意識しない、排他的な意識)である、と考える。
この仮説に対する予想は、1の質問が(YES)の人ほど、2の質問は(YES)である。よって「正の相関」が表れる、と予想される。
結果は 39 × 42 1638
23 × 42 713
「正の相関」が見いだされた。
よって、私の仮説は検証された。
<第二設問>
1「あなたは履歴書などの「趣味・特技」の欄を書くとき、悩んでしまう方ですか」
2「自分のしたいことがはっきりしていますか。」
この二つの質問は、「自己決定がなされているか」をみている。「自己選択」「自己決定」を迫られたときに困惑してしまう人ほど、「絶対的な私」としての「自己」の確立ができていない人、ということになる。
ここで、1悩んでしまう人(YES)ほど、2自分のしたいことがはっきりしていない(YES)人、という仮説が立てられる。
この仮説に対する予想は、1の質問が(YES)の人ほど、2の質問は(NO)である。よって、「負の相関」が表れる、と予想する。
結果は 24×26 312
35×50 875
負の相関が見いだされた。
よって、私の仮説は立証された。
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