先日の鹿児島大学法文学部現代メディア文化論演習で、三年生の学生さんが、携帯電話バッシングについて発表しまし
た。おもしろいので、ここにご紹介します。

コメントなどは桜井宛にお送りください。著作権は、書かれた学生さんに帰属します。無断転載などは固くお
断りします。990707

(紹介者)桜井芳生sakurai.yoshio@nifty.ne.jp
http://member.nifty.ne.jp/ysakurai/

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990701 現代メディア文化論演習

携帯電話バッシングに見る日本的共同体の変容
法文学部人文学科3 メディアと現代文化コース
 
 
【要約】

若者の携帯電話の利用に対する批判をしばしば耳にする。それらの多くが全くの的外れではないにしろ、こういった若者に対する批判はそれ以前からも存在していた。そこで現代の「携帯電話バッシング」の根本的な原因は、これまでとは異なる新たな共同体意識を発生させつつある若者の人間関係に対する違和感と、それに対する拒絶反応であると考える。

 

【過剰なバッシング】

携帯電話は便利だ。これら移動体メディアを共有している者同士という限りでは誰とでも連絡しやすくなったし、またどこでも擬似的な対面コミュニケーションを行うことが可能になった。その利便性のためか、携帯電話の普及率は993月には577%に達した(99331日付の朝日新聞)。

このように携帯電話等の移動体メディアが爆発的に普及するなかで、携帯電話の利用に対する批判もしばしば見られるようになった。「マナーが悪い」とかいった若者のモラルを問うような意見もさることながら、最近特に目に止まるのが主なユーザーである10代から20代の若者を中心にした議論である。

 

「モバイル機器を所有しないと人間関係を構築することができない若者(中略)そうした若者は、モバイル機器に依存して脆弱な人間関係をつくりつつも、脆弱な関係から逃れることもできず、人間関係の維持に常に不安を抱えていくことになるだろう」

(石井[199943]
 

そして「若者は相互に依存している」とか「若者はいつも誰とでも繋がっていたい」というように移動体メディアの特性と若者の臆病な心性とを結び付けて非難されるケースが多い。しかし、このような「若者は人間関係に対して臆病だ」といった批判は最近になって始まったものでもなく、携帯電話の普及以前にもあったのではないか。例えば中野は70年代以降の若者に特有の気質を「カプセル人間」と表現して以下のように説明している。

 「集まっているけれど、それぞれはバラバラで好きなことをやっている。肉体的というか、人格的というか、そういう接触はごく希薄で、面と向かったコミュニケーションも少なく、どちらかというとそれらを回避している。一緒の「空間」にいるけれど、直接接触はしない」(中野[1991173]

また、80年代にヘッドフォンステレオやコンピュータゲームが流行した時にも「メディアによる若者の個人化」がよく言われた。このように、若者とはもともと人と接することが下手な「臆病」な存在であったはずである。もちろん、携帯電話の利用について議論される若者の心性に関して事実を言い当てている部分も少なくないだろう。しかし携帯電話の普及に伴いこの手の批判が増え続けているのは疑問である。青年期に特有とも言えるこれらの心理的な部分を特殊化して、携帯電話の利用を批判する現象が起こるのはなぜか。

 

【新しいコミュニケーション・メディア】

かつてヘッドフォンステレオといったメディアが若者と結び付けられて批判されたこともあったが、携帯電話の非難はそれを上回る勢いである点に注目したい。この二種類のメディアの間には決定的な違いがある。ヘッドフォンステレオやコンピュータゲーム等が自分一人の世界に没入するメディアであるのに対して、携帯電話は物理的な空間を超えた人と交流するためのメディアである。メディアに対する姿勢を二つに分類した立木茂雄の見解にしたがって富田は次のように述べる。

 

「立木茂雄は情報化社会に対する態度を「コントロール志向」と「コネクション志向」に分類している。前者は機械(メカトロニクス)によって情報環境を自分の意志で自由に操ろうとする態度であり、後者は、メディアを通じて友達とのコネクションの機会やその自由度を高めようとする態度である。この立木の分類にしたがえば、ケータイはコネクション志向のメディアであり、モバイルコンピュータはコントロール志向のメディアとなる」

(富田[199770]
 

このコネクション志向の新しいメディアはポケベルに代表される移動体通信メディアの出現によって広く社会に浸透し始めたが、これらメディアの利用は従来の共同体のあり方を変容させた。つまり、それらが普及する以前はごく限られた共同体(仲間)での生活を余儀なくされていて、それが当然であったものが、移動体メディアを身につけることで様々な仲間(共同体)に同時に所属、接続することを容易にしたのである。

そして携帯電話批判の内容を探ると、この若者のコネクション志向の態度に関するものが非常に多いことに気づく。実は携帯電話非難の根本的な原因は、コネクション志向のメディアがもたらす、共同体意識の変化に対する批判者側の違和感ではないかと考えられる。

 

【解体される日本的共同体】

趣味や嗜好が細分化された現代において、恐らく多くの若者が複数の友人関係を持っているだろう。それゆえに常に同じ仲間と一緒にいる、いうことはあまりない。このような複数の仲間関係を維持するためには、携帯電話は便利な道具であるし、若者は友達と繋がっていたいから云々と言うことを意識すること無しにメディアに接している。

ところが批判する側(いわゆるオトナ達)の目にはこれが奇妙な光景に映って見える。その理由は、昔から遍在し続けてきた日本人的な共同体の前提と、そこで行われる人間関係のあり方にある。

 

「日本は『間人主義の社会』だといわれる。『間人主義』というのは西欧の『個人主義』に対応する概念で、@相互依存主義…社会生活では親身な相互扶助が不可欠であり、依存し会うのが人間本来の姿である。A相互信頼主義…相互依存関係のうえでは、自己の行動に対してうまく応じてくれるはずだという相互信頼が必要である。B対人関係の本質視…いったん成立した関係はそれ自体価値あるもので、その持続が無条件に望まれる、といった人間関係の特徴をさす」(佐藤[1992303]

 

また佐藤は、アメリカ型のコミュニケーションは個人と社会関係との距離が外在的・開放的であるのに対して、日本型のそれは関係が内閉的であると述べた上で、この日本人的な気質が個人を自発的に長期間同じ関係の内部にとどまらせると指摘している。この気質こそが「固定された場所・人との営みこそが共同体である」という意識を生み出す原動力となっているのである。

 

「『地縁、血縁、学校縁、社会縁』にもとづくハウス(家)・クラス(学校)・オフィス(職場)という生活環境の三角形は、『できるだけ固定されたメンバーが、固定された時空間を共有し、近くにいるべきだ』そして『近くにいる人ほど親密であるべきだ』という『距離=親密性の比例法則』によるイエ的求心原理に強く支配されている」

(藤本[1997193]
 

ところが、このイエ的求心原理による親密性の度合は移動体メディアの普及により当てはまらなくなってきた。ひとつの場所に固定されなくても、移動可能なコミュニケーション回路を身に着けることでより多くの人=仲間(共同体)と接触するチャンスを獲得したのである。この事実は従来の日本人的な共同体意識、人間関係のかかわり方を大きく変えた。

 

「電脳社会は不特定多数の人間とリンクするコストを下げ、複数の関係を出入りする経験を個人にもたらす。これまでひとつの社会関係のうえでほぼ全生活を送ってきた日本人が、簡単に複数の関係を出入りできるようになる。(中略)その経験は従来の身体の連続体感覚をむしろ引き裂き、一つの関係に内閉することで確保されてきた、日本的な個人性のほうを破壊する」(佐藤[1992315]

 

固定された濃密な関係こそが仲間であり共同体であると考える批判者は、いつでも流動的に様々な仲間と関わるような新たな共同体感覚・身体感覚を身に着けた若者に対して、違和感や戸惑い(そして多少の羨望)を感じているのではないだろうか。日常的に移動体メディアに接している若者と違って、若者の携帯電話利用を批判する者たちにはいままでの日本的な身体感覚、つまり固定された場所での間人主義を基盤としてきた感覚しか備わっていないだろう。そういった世代にとって、どこでも誰とでも接続されるような新しい人間関係は好ましくないもの、また日本人的共同体にふさわしくないものとして非難=拒絶し続けているのである。

 

〈参考文献〉

石井久雄 1999 論座6月号

中野収 1991 若者文化人類学 東京書籍

富田英典 1997 ポケベル・ケータイ主義! ジャストシステム

佐藤俊樹 1992 ポップ・コミュニケーション パルコ出版

桜井芳生 ケータイ・バッシングへの、ひとつの回答

 

 

〈論文構造設計表〉

主要問題 若者の携帯電話利用に対するバッシングはなぜ起こっているのか。

主要回答 若者の脆弱な心性に言及するような携帯電話批判の根本的な理由のひとつとし

て、新たな共同体意識を発生させつつある若者に対する違和感とそれに対する

拒否反応が挙げられる。…@

  1. への問 若者のこういった心性について述べる批判は最近になって起こったか。
  2. 返答 そうではなく、携帯電話の普及以前にも見られた。…A

  3. への問 ではなぜ携帯電話の利用がこれほどまでやりだまに挙げられるのか。
返答 携帯電話はヘッドフォンステレオやテレビゲームのようなものとは異なるコネ

クション志向の新しいメディアであり、また従来のコミュニケーションの様態

をも変容させた。それが批判者の違和感につながっている。…B

@、Bへの問 どのように変ったか。

返答 間人主義に基づく日本的な共同体の前提とは内閉的なものであり、またそうあ

るべきとされてきた。しかし移動体メディアを利用すれば、いつどこにいても

仲間(つまり共同体)に接続され、また多数の人間関係を結ぶことも可能にし

た。今続いている携帯電話批判の原因は、間人主義に基づいてきた世代の、こ

うした共同体のあり方の変容をめぐる違和感、拒絶である。
 
 

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