桜井研究所通信990414
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990414【主要提議】功利主義とマクシミンとは、「(個人間)限界効用逓減」という(自然な)仮定をおけば、同等ではないか。
990414「功利主義」(全員の効用を最大化するようにせよ)と、ロールズの『正義論』の「マクシミン」(最も恵まれない者の効用を最大化せよ)とは、社会思想における二大方途といえるでしょう。
が、ひとの効用というものは「(個人間においても)限界効用逓減」である(投入資源をふやしていくほど、追加一単位による効用の増分は減少していく)という、ある視点からは「自然な仮定」をおくと、追加的な資源投入をするさいには、功利主義でもマクシミンでも、もっとも恵まれない者から投入していく、ということになって、結果的には同じになるようにみえます。
990414つまり、(個人間における)限界効用逓減という(自然な?)仮定をおくと、功利主義とマクシミンとは、結果的にはほとんどおなじになってしまうようにみえます。
990414これは、つねづね、功利主義とマクシミンが「対立」的に論じられているのにかんがみるとかなり意外にかんじます。わたしは、どこかで、思い違いをしているのでしょうか?。それとも、こんなことは、すでによくいわれていて、わたしがしらないだけなのでしょうか?。
990414どなたか、ご教示いただけると幸いです。初発の発想の後で、すこし、厚生経済学や、決定理論の文献にあたってみました。が、Becker(1975)が,功利主義に対する反論は、限界効用逓減でこたえることができる、と論じているのが、もっとも近い発想のようでした。が、そこでは、功利主義とマクシミンとの類似性(同等性)については、言及がないようでした。
(文献。Becker,E.D 1975 "Justice Utility ,and Interpersonal Comparisons"Theory and Decision 6 (1975)471-484)