ケータイ・バッシング現象への、一つの回答
 

桜井芳生990612(著作権保持)
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【主要問題】現代日本若者のケータイ電話利用に対するバッシングは、なぜ生じているのか?。

【主要回答=イイタイコト=結論=主要命題】一つには、会社共同体から放逐されつつあるオジサンたちの嫉妬によって、である。

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990612最近の若者たちによる携帯電話(ここではPHSも含めて議論する)の利用に対しての、非難が散見されるように思われる。

990612これらの非難は、事実の指摘としては当たっている場合もおおいだろう。が、なぜ、わざわざこんなことを「ことあげ」するのか、というようなものもおおいだろう。

990612たとえば、「若者は、ケータイのよって、仲間との内容のない結びつきを確認しているだけだ」とでも要約できるような指摘があったとしよう。

これに対しては、「たしかにそうかもしれない。が、なんで、そう、であってはいけないのか」と「居直る」ことが可能である。

990612社会学的には、なぜ、いまの時期に若者のケータイ利用に対する非難といった現象が散見されるようになったのか、という問題設定の方がおもしろいような気がする。

990612こう問題設定してしまえば、例によって初発の回答を提出することは比較的容易である。この「現代日本若者にケータイ利用に対するバッシングは、なぜ生じているのか」という問題についての回答としては、「一つには、会社共同体から放逐されつつあるオジサンたちの嫉妬によって、である。
」が、月並みだが最も有力なものといえる、とおもう。

990612つまり、簡単に言ってしまえば、会社共同体から放逐されつつある「寂しい」オジサンたちにとって、目の前で仲間とバカ話のできる若者は、「うらやましくて、ムカつく」わけであろう。

990612もちろん、言論界?で、ケータイ利用非難しているのは、この種のオジサンとまったく同一人物ではないかもしれない。が、発話者は、会社共同体から放逐されつつあるオジサンの不安を「代弁」しており、そうであるがゆえに、「ケータイ非難」の言説は「需要」(「受容」というよりむしろ「需要」)されていると、かんがえることができる、だろう。(本稿は、990604鹿児島大学法文学部メディアと現代文化ワークショップにおける学生さんの発表ならびに参加者の発言に啓発されました。感謝します)。

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