「議」を言わせる「責務」
      桜井芳生
( 最終回用)
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来月の10月になると、私の所
属する学科では、学生たちが専
門課程に進学してくる。
進学生を対象にして、ゼミナ
ールを開講するのだが、はじめ
はみんなまったく発言ができな
い。
「どんなことでも、いいから
自由に発言してごらん」と言っ
ても、黙っている。
ゼミが終わったとたんに、ま
るで別人のように、友だち同士
でさかんにおしゃべりをしはじ
める。
しかし、教官( 筆者のことで
す)の指導よろしきを得て、3
カ月もすると、なかなか鋭い発
言をするようになっていく。
このように学生たちが知的に
成長していくのを見るのは、と
てもうれしいものだ。
けれど、大学に入る前から、
「発言」するトレーニングをし
ていればもっとよいのに、と毎
年思う。
推測だが、高校までの段階で
、「自分を意見を、論理だてて
、堂々と述べる」練習がまった
くなされていないのではないだ
ろうか。
だとしたら、「犯罪」的だと
いえるのではないだろうか。
 教育とは、ただたんに受験に
合格する知識を授けることでは
ないだろう。
 情報化・国際化しつつあると
いわれる今日、自分の意見をし
っかりと持ち、それを他者に対
して、論理的に発言できる能力
を涵養するのは、教育者として
の「責務」だといえるのではな
いだろうか。
先生方、親御さん方、子供た
ちとディスカッションする訓練
をしていますか?。教師や両親
はいまや、子供たちに「議」を
言わせる「義務」があるのでは
ないだろうか。
「議を言うな」は、そろそろ
「禁句」にしませんか?。
 
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