桜井芳生(著作権保持)
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最近一部で「父性の復権」をめぐっての論争が盛んである。社会学者の視点からは、まず、なんでこの種の論争が「需要」されたのか、が気になる。
この問い(論争需要問題)に対する、最も平凡だが有力な仮説は、「おとうさんが、カイシャで残業が減ったので、イエでどうやって自分の居場所を持っていいかわからない」から、というものであろう。
すなわち、父性復権論争(ブーム)とは、残業になくなったおとうさんの居場所探しゲームといえそうだ。
とすると、この論争は論争自体が危険なものである。なぜなら、「子供のため」の論争ではなくて「おとうさんのための論争」だから。論争がどうころんでも、結局は「子供のためといいながら、おとうさんの安心のため」の方策が社会的に受容されてしまうことがありそうなことだろう。
このような「オヤの不安を子供に押しつける危険」は、どのような教育・しつけにも多かれ少なかれつきものかもしれない。しかし、この「オヤの不安を子供に押しつける危険」を最も軽減させるオススメは、「ルール準拠」的な教育だろう。「まずは市民社会のルールをおとうさんも守る、子供にも守らせる」のがいいのではないか。
で、「ひまになった分は、ガーデニング・釣り・将棋などの、趣味で消費して子供に必要以上に介入しない」のがよさそうだ。
もしこどもが、その趣味にのってくるなら、一緒にやる。が、けっして無理に巻き込まない、といったところではないだろうか。
繰り返すが、オヤの不安の癒しの道具として子供へのしつけを利用しないように警戒した方がいいだろう。
(鹿児島大学の学生さんの、発表に啓発されました。感謝します)。