【おもしろい卒論は、「おもしろい文献一つ」が、見つかるかどうか、で決まる】
最近思うのだが、「卒論」や「ゼミ発表」がおもしろいものができるかどうか、というのは、かなりの程度、「おもしろい文献(ネタ本)が見つかるかどうか」によっているような気がする。
われわれ「学部生」がいま現在もっている「知識」も「発想」も、たかがしれている。そんなわれわれがおもしろいペーパーや発表ができるかどうかは、結局は「オンブさせていただく文献」がおもしろいかどうかにほとんど依存してしまうだろう。
【文献探しの「おもてワザ」】
あるいは、こういってもよい。
つまらない文献をネタにして、おもしろい発表をしようとしてもムリである。
むしろ【頭を使うより、手を使う・足を使う】で、
つまらない文献を前にしてなやんでいるより、おもしろい文献探しに手間暇をかけた方がよい、と。
それで、おもしろい文献をいかに見つけるかが、問題となる。
文献探しの「おもてワザ」については、定評ある入門書がいくつもでているのでそれを参照してほしい。
たとえば、池田祥子1995『文科系学生のための文献調査ガイド』青弓社、という本が私の研究室に所蔵してある。
ぜひ読んでください。
【必須のおもてワザ】
おもてワザの中でも、【必須】なものがある。それは、
1。図書館の「目録」(オンラインならびに、カード)(欧米人の著者名は、翻訳書でも、カタカナではなく、原語(アルファベット)のスペルでひかなければならないので、注意。)(古い文献は、オンライン化されてない場合が多いので注意。)
2。生協書籍部の、「出版情報検索」(パソコン端末)
3。『雑誌記事索引』(CD-ROMならびに、冊子)(大学図書館にある)、
この三つである。
これらは、ぜひマスターしてほしい。それほどむずかしくないので、直接行って試してほしい。わからなかったら、まわりの係りの人に聞いてください。
(とくにオンライン端末の使い方は、わかってしまえば簡単だが、はじめは【どんなにコンピュータが得意な人でも、聞かないとわからない】ものである。【恥ずかしがらずにズウズウしく聞く】のが最大のコツである。)
(あるいは、コンピュータが得意な人ほど恥ずかしがらずに聞く、ものである)。
【文献探しの、ウラワザ=実態】
ただ、自分の日頃の読書経験を振り返ってみると、鹿大図書館の目録は自分のホームページにもリンクして夜自宅からでも利用しているが、それ以外の「おもてワザ」はあまり使っていないことにきづく。
(書籍部の出版情報検索についても、自分のパソコンからインターネットで、丸善や紀ノ国屋のホームページにアクセスして検索すると、ほとんど間にあってしまう)。
私は、むしろ、意識しないで、おもてワザとは異なったウラワザを多用しているようだ。
そんなウラワザのいくつかを書いてみよう。
おもてワザのマニュアルを読むと、「どんな文献を探せばいいかわかっている」「あるテーマについて網羅的に探す」というパタンが多いようである。
この点が、われわれがおもてワザだけでは不満である原因だろう。
われわれの場合は「どんな文献を探せばいいかさえわかっていない」「網羅的に探すだけでなく、おもしろい文献を探したい」ときが多い。したがって、おもてワザだけでは、十分とはいえないのである。
(本稿は、読書家の方にとっては「当たり前以前」のことがほとんどだと思います。しかし、現在の学生さんは、このような当たり前以前すら知らないのがふつうのようです。)
【逆イモづる遡及方式、が、基本】
基本は、【逆イモづる遡及方式】である。
まず「新しくて」「周到な」文献(論文)を一本入手する。
それには、そのテーマについての過去の「先行研究」が「リファー」(言及)されているだろう。
言及のされ方から、それぞれの先行研究の「おもしろさ/つまらなさ」「重要さ/不重要さ」がうかがえるだろう。
こうして「おもしろそう」で「重要そう」な文献を知ることができるわけだ。
その文献の具体的な入手は、上記のおもてワザ「図書館目録」「書籍部の出版情報検索」を使えばよい。
「雑誌」も、「誌名」がわかれば、図書館オンライン目録で書籍と同様に検索できる。学内にない雑誌・書籍も、図書館のカウンターにある「学外図書利用申し込み書」に記入して申し込めば取り寄せてもらえる。
いそいで購入したいときには
「まず一番はやいのが、【ジュンク堂(099ー239ー1221)に電話】して、在庫があったら、とりおき、してもらう」(ジュンク堂とは、一年ほど前にできた鹿児島で最大の本屋です)。
「次にはやいのが、【直接版元(出版社)に電話】して、在庫があったら、「宅急便・代金引き換え(いわゆる「代引き」)」で注文する。鹿児島でも三日ぐらいで届く。」
この二つのワザをつかうとよい。
(生協や、書店に「取り寄せ注文」すると10日からあるいは一ヶ月ぐらいかかることもある。したがって、急いでいるときには、「取り寄せ注文」はしてはいけない。論文の提出締め切りあとに本が入荷したりする!)。
こうして入手した文献にも、重要文献がリファーされているだろう。これも関心をひくものは同様に入手する。
こうして、あたかも「イモづる」のように、文献を「ツルたぐって」いくわけである。
しかし、いうまでもなく、このやり方はあくまで「スタート」のはじめの一歩の文献があってできるものである。また、この逆イモづる方式では、スタートの文献よりもあたらしい文献は、網にかからない。
では、どうすればこのような「イモづるのスタートポイントになるような新しい文献」をみつけることができるのか。
【人に、聞く!】
まず、一番能率がいいのは、【人に聞く!】ことである。大学の教師はこのために存在しているようなものだ。
ただ、一つ注意すべきなのは、大学の教師は、「読みにくい、古くさい、名著(ビッグネーム)」をすすめる傾向がある、ということである。
もちろん、大学の教師がよくすすめる「読みにくい、古くさい、名著」も重要だ。聞いたら忘れないようにメモっておこう。
しかし、われわれが「イモづるのスタート」として知りたいのは「新しい、周到な」文献である。この点、しつこく食い下がって、あたらしい文献を聞き出そう。
【書誌的データは、その場で「一言一句正確に」メモる】
ここで注意すべきことがある。人から聞いた書誌的データ(書名・出版社・著者など)は、【その場で、一言一句正確にメモ】る、ということである。
私は半年の授業や学生さんとの面談において、数十冊の文献を言及するようだ。
であるのに、「先生、このまえ、はなしていた、ナンでしたっけ、アノ本貸してください」といってこられても、どの本のことかわからない。
正確な書名や著者名をメモしておけば、オンライン目録で一発で検索できる。
書店に問い合わせ・注文する際には、正確な出版社名が重要である。(ただし、ジュンク堂では、書名だけ・あるいは著者名だけ、からでも気安くコンピュータ検索してくれる)。
【ジュンク堂で、立ち読み300冊!】
私自身は教師なので、「先生にきく」という手はあまり使えない。(いや、じつはけっこうつかっている)。
で、自分がどのような「手」で一番認識利得を得ているかと反省してみると、それは【立ち読み】によるようである。
「立ち読み」は、原始的であるように見える。しかし、
1。文献の現物を自分の目で確認できる。
2。新しい文献をみることができる。
この二点から、もっとも利得が期待できる「手」であるといえそうだ。
立ち読みの極意、それは、【とにかく、時間をかけて、『場』(ジュンク堂なり、大学図書館なり、公立図書館なり)に、慣れる】、これしかない。
ちなみに、わかりやすさのためにあえて極論すると、【鹿児島においては、ジュンク堂以外には「学術的利用」に値する書店は存在しない】。
たっぷりと【半日ぐらい】の時間をかけて、ジュンク堂の書棚を最上階から【全部なめるように見て】いく。
こうしてはじめて、どのような本がどの辺にあるのかが、潜在意識(?)にインプットされる。
私はよくジュンク堂に立ち読みに行くが、それでも15分とか30分しか時間がないときには、おもしろい本が見つからない。
一時間ぐらいじっくり書棚を眺めまわして、「今日はおもしろい本がなかったな、そろそろ帰るか」と思うようになったころになってやっと、いろいろとおもしろい本が目につくようになってくる。
アナタの「おかあさんが、デパートで買い物をする」のと同じである。
十分時間をかけて「狩場」をウォッチしないと、「アンテナ」「嗅覚」は働いてこない。
目安としては、【ジュンク堂で立ち読み300冊しろ】と、私はゼミの学生さんにいつもいっている。
あるいは、一回3時間で十回【延べ30時間立ち読み】しろ、といっている。
【目録でつまらない本をひいて、棚でそのまわりを見る】
図書館は、全部の棚を見るのはむずかしいかもしれない。(不可能ではない。市立図書館などは、ときに、ほとんどの棚をみてまわることがある)。
そのようなときはまずは(オンライン)目録で、自分の関心のあるキーワードを入力してみる。
そのキーワードを書名の一部とするような書籍が表示されるだろう。
ただし、その書籍は「おもしろい」ものであるかどうかは、わからない。
おもしろいものであるかはわからなくてよい。まずは、その書籍がおかれている書棚のところへいってみるのである。
するとその「まわり」には、似たようなテーマの本が並んでいるだろう。これこそがじつは探していたものだ。
こうして、この「目録で見つけた本のまわりの本」を、「立ち読み」していくわけである。
【「講座」類・教科書を、「後ろから」(だけ?)使う】
大学の少なくとも文科系で使う「教科書」というものは、学生さんが高校まで使っていた教科書とはまったく意味が異なる。
高校までは、教科書こそが、勉強の中心であり、「試験の出題範囲の出典」として、いわば生徒の「死活」を制するものであっただろう。
しかし、文系大学での教科書は、そんな価値はない(ただし近代経済学の教科書と、法学における基本書はのぞく)。
じつは、教科書は「二次的価値」しかない文献である。
大学の学問においては、一線の研究者の書いたオリジナル・ペーパーこそがすべてである。
教科書は、オリジナル・ペーパーを直接読んだり理解したりすることができない「知的未成年」のための、いわば「学問のマネゴト」(オママゴト)にすぎない。
ゆめゆめ、「ボクちゃんは、大学の教科書を読んでいるから、ガクモンしているのだ」などと【誤解】しないように!!
このように価値の低い教科書であるが、それはそれとして利用の仕方はある。すなわち、「論点カタログ」「文献リスト」として利用すればよいのだ。
逆に言うと、教科書を論点カタログ・文献リスト「以上」のものとして考えてはいけない、ということだ。
教科書に似たものに「講座」もの、というのがある。たとえば、「岩波講座 現代社会学」とかである。ある学問について、十冊なり二十冊なりのシリーズで、論じたものである。
これは編集者も執筆者も現代日本の第一線の研究者であることが多い。しかし、「注文原稿」なもので、じつはあまりおもしろい論文には出会えない。
しかし、これも「論点カタログ」「文献リスト」として利用する分には非常に重宝する。
いわば、教科書も講座ものも、バカ正直にはじめから読むよりも、「後ろ」の文献表から読んだ方がいいといえるかもしれない。
【「社会学評論」の会員論文目録】
各々の学界・学会には、一つあるいはいくつかの中心的な学術雑誌が存在するものである。
たとえば、日本社会学会の『社会学評論』とか、マスコミュニケーション学会の『マスコミュニケーション研究』とかである。
日本ではこれらの雑誌は、「就職の決まっていない研究者の、業績づくりの場」となっているきらいがある。したがってここにのっている論文はおもしろいものが多いとはいえない。
しかし、どの論文も最先端の研究をフォローした「周到な」ものであることはたしかだ。よってこれらの論文も「文献リスト」として利用できる。
また、学会誌によっては、年度末などに「学界展望」などとして、その年度の日本なり世界なりの研究成果を分野ごとにまとめられるので、これも便利な文献リストになる。
『社会学評論』『マスコミュニケーション研究』では、学界展望ではなく、その学会に所属する学会員の「自己申告」で、一年間の発表論文の網羅的なリストが、分野別に掲載される。
これも「おもしろさ」では期待できないが、当該の学界ではどのようなことがいまホットトピックとなっているのかを知る「論点リスト」ならびに、「イモづるのスタート地点としての文献」を探すための「文献リスト」として利用できる。
【それでもダメなら、正攻法(おもてワザ)=「雑誌記事索引」】
以上のようなウラワザを使っても、「イモづる」のスタートになる文献が見つからないときはどうするか。
しょうがないですね。正攻法(おもてワザ)で、はじめに紹介した「雑誌記事索引」をつかうんでしょうねぇ。
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(おまけ)
【毎月「2万円」本を買う】
以上、文献の探し方について述べてみた。機会があれば、本稿の続編として、「読書達人への道、入門・初/中/上級編」も書いてみたい(私自身は、いまだ読書達人ではありません)。。
ここでは、「読書達人への道」の「最重要助言」を、せっかくの機会なのでついでにのべてみたい。
【読書達人は、情報達人の「必要条件」である】
読書達人への道を述べる前に一ついいたいことがある。
それは、読書達人であることは、情報達人であるための「必要条件」である、ということだ。
インターネットなどさまざまなニューメディアが生まれている現代であるが、依然として、活字メディア・書籍の重要性はなくなっていない。
現代においては、読書が得意であることは情報達人である「十分条件」でないだろうが、「必要条件」であることは変わりないだろう。
インターネットの時代であるが、その点誤解せずに、「読書達人」をめざしてほしい。
【最重要助言→毎月2万円本を買う】
読書達人への最重要助言、それはすでによくいわれることであるが、「身銭をきって、本を買え」ということだ。
しかも「かなりの金額の身銭をきれ」ということである。
自分のお金で本を買い、所有することで、情報へのあなたのアクセス能力はケタ違いに向上する。
また、多額の「身銭」をきることで、読書の「真剣」さが増す。
人間は、基本的に「ケチ」な生き物なので、「身銭」をきることで「モトをとろう」とするわけである(立花隆や渡部昇一がいっているように)。
それに対して、本を買わず、「借りてすませよう」とばかりしていると、いつまでたっても読書や本の選択に「切実さ」が生じてこない。
まあ、目安としては、【毎月2万円】ですかねぇ。少なくとも「毎月1万円」は本代に使いたいなぁ。
少なくとも私の乏しい見聞からすると、【毎月の本代が1万円未満の人で、「知的主体性」がある人は、一人も知らない】。
【美言は信ならず】
お金のこというのは気がひける。とくに「一人あたり県民所得が低い鹿児島県」においてはそうである。
しかしだからといってなおさら、「お金がなくても、何とかなる」とかいった【美しいウソ】は言いたくない。
はっきり言おう。人生にお金は必要だ。お金はあればあるほど有利だ。
で、お金を都合したとして、その使い方が問題だ。
私のような若輩者がいうのもナンだが、人生、成功できるかどうかというのは、
1。【時間とお金を、使うべきことに使い】、
2。うじうじ悩まずに【決断すべきときに、スパッと決断し、実行する】
この二つで、きまるのではないだろうか。
何とか都合をつけて【毎月2万円】ぐらい本代につぎ込んでほしい。
この2万円が、あなたにとって「身を切るような」切実なお金であればあるほど、
あなたはその本代を無駄にしてはなるまいとして、
自然と【いやでも】読書術が向上するだろうし、本の「選択眼」も向上するだろう。
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【まとめ】
・図書館目録、出版情報検索(生協)、「雑誌記事索引」、が、必須おもてワザ。
・逆イモづる遡及方式、が、基本
・急いで購入したいときは、ジュンク堂に電話する。なければ版元に電話して、宅急便。
・ジュンク堂で立ち読み300冊!!
・書誌的データは、一字一句正確にメモる
・教科書は、カタログにすぎない。
・毎月【2万円】本を買う。