桜井芳生
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(女性の)オーガズムという ものは、人類史においてエボラウイルス(?)のような位置価にあったのかも知れない。人類史の大部分 であろう農業革命以前の(いわゆる未開社会にほぼ等しい?)社会においては、親族体系こそが社会の 「ほとんど」であったであろう。そこにおいては、婚姻の自由はないに等しいだろう。(婚外セックスは あっただろうが)。そこにおいては、オーガズムは社会全体にとって大した影響を与えるものでははなか ったのではないか。そうでありながらも、何らかの事情(以下参照)で、オーガズムを感じるという女性 の生理は、進化論的に「複製」されてきたのだろう。(鹿児島大学での現代メディア文化論ゼミでのO氏 の発表に啓発された。感謝します。)
961203これに対して近代社会は、婚姻の「自由」の方途をとり、その社会通念的支えとして「ロマンティ ックラブ」イデオロギーを採用した。しかし、このロマンティックラブイデオローギーは、オーガズムに 対して「脆弱」ないわば「時限爆弾」をはらんでいるものであった。まず、ロマンティックラブイデオロ ギーは、じつはその「ラブ(愛)」の内実が不分明なのであった。「教会」で結婚式をあげる二人が自ら の間にあると信憑している「愛」が、イエスのいう「愛」とは、かなり距離のあるものであることは少し 考えればわかるだろう。婚姻の元のなっているはずのラブとは、突き詰めれば、「性愛すなわち、オーガ ズム(の希求)」か「ペットへの愛情と類似の感情」のどちらかか両者の混合物となってしまうのではな いか。
961203このようなロマンティックラブは、オーガズムといういわば「時限爆弾」をはらんでしまうことに なる。ラブの究極がオーガズムにいかざるをえないのだとしたら、そして、婚姻がラブを要件としなけれ ばならないのだとしたら、オーガズムにいたれないかなり多く(少なくとも半数?)の婚姻は継続するに 値しないものになってしまうからである。
961203ライヒ的な「性の革命」論(オーガズム解放論?)は、このような意味で、ロマンティックラブイ デオロギーの「自己破壊的・正当なる後継者」といえるかも知れない。
961203【オーガズム選民主義】
オーガズム選民主義(オーガズムを感受したものが、感受していないもの を差別する)も生じうるだろう。
961203【未開社会のおける婚外交渉装置としてのオーガズム】
未開社会においては、オーガズムは、「女 の交換装置=親族体系」外の性交渉を(女性の側に)誘因付け・その際の受精確率を高めるためにあるの ではないか。 説明しよう。「未開社会」では、婚姻は、「女の交換装置=親族体系」を通じてのみなさ れるのであるが、生殖がこの体系にのみ基づくとしたら、それは、進化論的には「不利」である。(生存 力の乏しい遺伝子も再生産されてしまう)。そこで未開社会のおいても「婚外交渉」がかなりの頻度生 じ、それによって生殖がなされていたと考えるのが、「進化論的はありそうな」ことである。おそらく 「その子」は、「実の父」ではなく「婚姻体系上の父」(ヨゼフさん?)が、自分の子として育てただろ う(夫による妻の「公式上の独占」は、このような「本当は自分の遺伝子の継承者であるかどうかわから ない、この子」を養育させる代償なのだろう)。このような「婚外交渉」を女性にある頻度でさせ、その 低頻度の性交で受精確率を高める「仕掛け」が、オーガズムという生理であったのだろう。(オーガズム の生理が受精確率を高めるものである点は、O氏の発表にくわしい)。
961203つまり、オーガズムと「不倫」とは、いわば、「もともと親和的」であったのだ?。